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第22回「裁定」

第22回「裁定」
沼田の帰属をめぐり開かれる秀吉を判事役に原告北条、被告真田の戦国裁判劇。話そのものはこれまで観てきたドラマのまとめだが、俳優さんのキャラがでて面白い。特に信繁と江雪斎の口撃バトル。結末は、秀吉が捨の”小便に付き合っている間”に、秀次の閃きで「真田が勝ち」と決まるとは。これ映画「清州会議」と同じ?
しかし物語の面白さは、裁判劇よりその後の三成の動き。裁定は当面秀吉の氏政上洛の思を遂げさせるため、結果にかかわらず、三成が昌幸に頭を下げ、「沼田領の2/3は北条のもの、名胡桃城を含む1/3は真田領となり、手放した領土と同等の土地を徳川が真田に譲る」というもの。北条、真田、徳川の三者それぞれに不満を残す結果となり、信幸も沼田城矢沢頼綱の説得に苦慮することになる。
しかし、新たな沼田城主猪俣邦憲が名胡桃城を攻撃して攻め取ってしまい、秀吉には北条攻略の口実が出来たとかねてより準備していた小田原攻めが開始されるという展開、来週が楽しみです。
 
沼田城の帰属をめぐる裁判
沼田領の帰属をめぐる沼田裁定が聚楽第の広間で北条の江雪斎、真田の信繁、徳川からの正信が出席、裁定者として豊臣秀吉豊臣秀次、脇に石田三成、書記の片桐且元で始まる。江雪斎、信繁割れんばかりの声を張り上げての主張、迫力がある。イメージ 1
議事開始、まずは江雪斎の言い分「元来上杉のものであったものを天正6年御館の乱の折にわが北条が奪いとった城で、わが城であることは明々白々」と主張。三成の議事進行で、信繁は促され「かっては北条のものだが、天正8年に武田の手に渡り事後織田に引き渡される2年間真田の支配下にあった。北条がわが城というのは全く解せない」と反論。面白いと秀吉「沼田の城は誰が築いた、何ゆえに拘る」と且元のくどい説明を聞き「沼田が大事な城であることがわかった」と裁定に値する沼田の戦略上の価値を認識する。
「もっとも大事なのはどちらが先に城を有していたか」と江雪斎、「どちらかではなく上杉に返さねば筋が通らぬ」と信繁。ここで秀吉が1本と声を上げる。「上杉、真田、北条が三つ巴に争いそこに織田が現れ横から城を奪い獲った。大切なのは誰が織田から城を奪い返したかだ」と信繁。これに江雪斎「わが北条である」と「追い返したのは北条かもしれないが沼田城については真田が己の力で勝ち取った城だ」と信繁、目つきがすごい。「かすめ取っただけではないか、真田は主人の滝川を裏切り騙し取った」と江雪斎。これには信繁も沈黙。が、この乱世にこの理屈は通じないと「騙しとりかすめ獲った」と応答秀吉は、この言い分十分理解したと笑い、少し疲れたということで休憩に入る。ここらの論議は第7回「奪回」、9回「駆引」の復習。(#^.^#)
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・隣の隠し部屋で成り行きを見守っていた昌幸「なかなかいいぞ、まったくの互角。騙し獲っただけだ。徳川は何もしゃべっていない」と大いに満足して信繁を激励。信繁は元気をもらって腹で息をしているところで江雪斎に会う。
江雪斎は「これは戦であり勝たねば意味がない、容赦しない。われらがやりあうことで真の戦さをしないで済む」と言い、闘志を露わにする。
ここで信繁はきりに会う。ここからは入れないと注意すると、そこに秀次が現れ「江雪斎は好かん」と言う。きりがさかんに秀次に沼田城の見晴らしのよさを宣伝、秀次も行ってみたいという。まあ、どうでもいい話だが、信繁にとって秀次は味方であることが分る。
 
・休憩後の審議
三成が天正10年の時に徳川と北条の間に盟約が交わされている、沼田城についても話があったと聞くその経緯は」と正信に問うが「まずは私から」と江雪斎。「当時北条と徳川は争っていたが互いに和睦をすることになり、その折に徳川は当時配下だった真田の持ち城沼田を北条に引き渡すことと取り決めた。起請文を持参した」と起請文を提出する。
信繁は「天正10年わが真田も徳川と盟約を結んでいたとき徳川は沼田の安堵を約束している」と起請文を提出する。ここで秀吉「徳川は両方に渡したのか、もう決まったではないか、徳川に聞けば分かるではないか」と言い、捨が泣くので後を秀次に仕切らせることにする
ここで江雪斎が「徳川と真田は主従のようなもの、その証文は親が息子に出したようなもの。北条と徳川は国と国が盟約である」と証文の格付けを取り上げる。信繁はこれに対して「交わしたものはどちらも同じ、重さは同じだとして日付がどちらが先かが問題だ、真田が1か月先だと日付が先であることを主張。これに江雪斎「お主、徳川は約束があるにもかかわらず北条と盟約を交わしたと言うたぞ。徳川を二枚舌だと言うたぞ」と信繁を罵る。
ここで正信の登場「主はそもそもそのようには言わぬ。沼田を譲り渡す気はなかった。“奪い取るなら好きにせよ”と言うたまでだ。起請文にもそう書かれている。“手柄しだい”と書いてある」と江雪斎に反論。且元が証文を持ち出しこのことが正しいことを示す。江雪斎は「手柄次第とは拙者は欲しい時にいつでもいいという意味にとった」と興奮気味に言い寄るが正信これを受け付けない。
さらに秀次が「譲り渡すにせよ奪い獲るにせよ、そのことは沼田城が真田の城ということにはならぬか」「ここまでだな治部」とこれは予想だにしない秀次の裁定だ。秀次、ぼんやりしているようでさにあらず、任されればできる男だ。秀次が頑張りすぎて算段が狂って三成は困ることに() 三成「後ほど殿下の御裁きを受け言い渡す」と
 
○秀吉の裁定と北条、真田の対応
信繁が本田正信に礼を言うと「ありのままを言うたまでだ。必死に戦う若者を見て手を差し伸べてやるのが年寄りという者」と言う。イメージ 3
昌幸は「よう頑張った、勝ち戦だ、これで北条は手を引くぞ」と信繁を称えるところに三成がやってきて、「ここに居るのはわかっていた、真田が勝って算段が狂った。殿下にとって大事なのは北条を上洛ささせること。北条にすんなり渡してもいいのだが真田の立場がないというので・・、ここは折れてくれ。そうしないと戦になる。沼田が火種になる。理不尽は承知の上。この通りと頭を下げる。三成の強い意志に昌幸も折れる。信繁は沼田は引き渡すよう昌幸に勧める。三成は「沼田と同じ領地を徳川に掛け合う」と約束。これに昌幸は丁寧に下手に出て「ひとつだけ望みがある。名胡桃には墓があるそれだけで良い、あとは殿下に従うのみ」と申し出る。
信繁が「名胡桃に先祖がいたとは知らなかった」と言うと「出まかせだ。これが残ってよかった、ここからは沼田城が丸見えだ」と満足気、こういう喧嘩もありですね。
昌幸の意見が取り入れられ「沼田領の2/3は北条のもの、“名胡桃城”を含む1/3は真田領となり、手放した領土と同等の土地を徳川が真田に譲ること」で秀吉による沼田裁定が下され決着。
イメージ 4・裁定に対する氏政の不満
氏政は「名胡桃に真田が居座ったらどうなる」と不満。懸命に江雪斎が上洛を勧めるが、「兵1万を名胡桃に置け」と言い江雪斎が「秀吉は城の受け渡しでは兵は1000人以上動かすことを禁じている」と言えば「2万にせよ」と。家名が大きすぎ、自分が上位という名門意識が抜けぬようで、こういう状況を見ていると惨めだ。一方、三成は「あとは氏政が上洛すれば、万事めでたし」と読んでいるのだが・・
・信幸の沼田城矢沢頼綱の説得
矢沢頼綱に懸命に頭を下げて城明け渡しを説得するが、頼綱は「死んでいった者たちのことを考え受け入れられない」と言い柱に体を縛付けここに残ると大騒ぎになる。城を開け渡し沼田城が北条の手に渡り本能寺の変に端を発した東国の動乱は幕を下したかに見えたが、沼田城主猪俣が名胡桃城に攻め込みこれを奪い獲り、城主鈴木主水は自害するという事件が勃発。
 
○北条隷下猪俣邦憲の名胡桃城奪取への対応
・これを聞いた信幸は直ちに軍議。本田忠勝が「真田に乗り込み助っ人する」と言うを聞いて「ここは真田の軍議の場、速やかに戻れ」に「婿殿よう言うた」と忠勝。「佐助、父上に知らせよ。4日で行け」と奪取されたことを悔しがる。信幸、城主としての風格がでてきた。
小田原城の氏政、「猪俣が名胡桃を、お思いきったことを。せっかく沼田をとっても名胡桃を獲られたのが悔しかったのだろう。これは北条と真田の諍い、なぜ秀吉が出てくる」と懸念を示すがご本人は狩りに出かける。まだ、ことの本質が見えていないようだ
・昌幸、「名胡桃を渡しておけばよかった、鈴木主水を死なせてしもうた」と言いつつも怒りに燃え「直ちに名胡桃を奪い返せ」と信幸に指示を出そうとする。信繁が「世の中は変わったのです。殿下の許可がいる」と秀吉に会うことを勧める。昌幸は名胡桃奪回を申し出るが、秀吉は「自分に任せて欲しい」と引き受ける。秀吉にはもう感情的に氏政を許せないところまできている。三成に「北条攻めだな」と言うと「これから文を遣わす」とあくまでも氏政の上洛で解決しようとしているが、「断ってきたらいよいよ戦だ」と秀吉。
・昌幸、出浦と酒を飲みながら自分で動けないことを嘆くと聚楽第は攻め落とせるぞ」と出浦。出浦の話にくやしそうに笑う昌幸。信繁と佐助は昌幸の無念さを想う。
 
・氏政は「秀吉がなぜ入り込んでくるのか」と怒りことの重大さに気付かす、必死に「秀吉に従ったほうが得策」と進言する江雪斎を無視する。氏政の顔は意地を通すというより狂っているという表情だ。
秀吉は氏政が上洛を断ってきたことで北条攻略の口実ができたと見てとり「すぐに征伐せよ。大名たちを集めよ。大軍勢を見せてやる」と怒りを爆発させる。
 
○秀吉の小田原城攻略発動イメージ 5
秀吉は三成の「もうすこし待って」の進言に聞く耳を持たず、北条攻めを命令。三成は「戦はいつもこうだ、あばれ牛だ、誰にも止められん」と無念の表情。秀吉はまたたく間に大軍勢をまとめ、北条の成敗に乗り出す。
これに対する北条氏政、「秀吉が攻めてきても小田原城がある限り負けはせぬ。まだ、伊達との盟約がある」と言い、江雪斎に「駿府に行って徳川を説き伏せよ」と命じる。世間(徳川や上杉)を見ようとせず気位だけで戦をしようとしているこの愚かさに気付かない
家康は「だから会っておけばよかった。終いじゃな北条は」と北条を憐れむ。正信の言うように家康は京に向かったことになっており、江雪斎が家康に会うことはなく、この時から関東の名門北条は滅亡に向かう。来週は北条「攻略」、楽しみです。

記事1 20160606
真田丸」第22話視聴率は16・6% 沼田裁定で北条と論戦
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160606-00000097-spnannex-ent