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第38回「昌幸」

第38回「昌幸」
高野山九度山幽閉の日々。昌幸にとって苦渋の13年間、あっという間で(笑)「上田の城へ」を最後の言葉に家康より先に逝ってしまいました。「生きてれば楽しいものも見れる」と語った昌幸、さぞ無念であったろう。しかし、最期まで家康を倒す戦術を考え、息子信繁にその極意を伝え、愛する孫に囲まれ、豪快に戦国の世を思うがままに生きた生涯は幸せであったに違いない。謀略の限りを尽くし諸大名を翻弄した、不気味で憎たらしくもあったが、愛嬌がある昌幸。これを見事に演じきった草刈さんの退場、さびしいです。ご苦労さまでした。
信繁にとっては、苦しい生活ではあったが穏やかな家族との生活のなか、江雪斎が見抜いたほどに、父昌幸のもとで心身を練磨し来るべき世の乱れに備えるに十分な時間を持ち得たであろうし、風貌も厳つく変化し頼もしくなっている。
信之も、厳しい徳川の監視の中で真田家を立派にまとめ、10年間の苦難を厳しい風貌に見ることができ、常に絶えることのない父弟への想いに涙です
凛々しく聡明に育った秀頼、これに不安を感じる家康。家康の天下取りがどう描かれるか。
 
○厳しい生活に耐え赦免を願う昌幸イメージ 1
慶長6年正月、高野山に流された昌幸と信繁たちは九度山の小さな村に屋敷を設け浅野家臣竹本義太夫に守られ暮らすことになる。早速、信繁が村の長にきりが大坂から持ってきた土産を持って挨拶に出向くが、何のためにやってきたかと問われ、早く去って欲しい、なくば早く死んでほしいと全く村人たちには受け入れられてないことを知る。内記はここでの生活に慣れるよう山菜などを採っている。
信繁はなにもやることがなく山歩きなど出来る生活は楽しめると言い、きりと真田の里で駆け回っていたころの話をすると、これを聞いた春がえらく気にしだす。
佐助はきりにここでの生活にも慣れたと言い、きりを描いた絵を渡す。そわそわした佐助の態度、いつからこんなことに。()
昌幸のところに信之からの便りが届き、信繁は兄が名を変えたことを知る。昌幸は「信之が捨てた幸の字を貰ってくれぬか」と言い、”幸信繁”の名を言い出すが、信繁は考えておくと引き取る。昌幸は幸の字を信繁に残すことで信之をしのぶという昌幸の親心に涙です。
沼田城では、信之が雪をみて九度山は寒いとこかと、父弟の暮らしを心配している。大府に赦免を願い出るしか道はないと赦免状を書く。
母薫は仮病で、信之にはやく夫を呼び戻して欲しいと無言の抵抗をするが、信之の目がなくなると夫を待つ役割があるとまんじゅうを頬ばる。()
 
薪を割る春。きりに「これからも源次郎さんをよろしく、嫌われてしまうので不安だ」と言うと「あなたは大丈夫」ときり。これに春は「お梅さに似ているからですか」と聞き返すと「どちらも私みたいに垢ぬけていない、源二郎さんはそういう人が好きだ」とノウノウと答えるきり。悔しいと鉈を振りおろす春、さすが大谷吉継の娘。()イメージ 8
きりに心乱す春に信繁は「気にするな、きりには上田に帰ってもらおう」と言うと「あの人がどうでもいい、私は負ける気がしないから。お梅さんです。いまの源二郎さんにはお梅さんが生きている。勝てるわけがない」。障子を指で破る春。これは春の癖。() しっかり春を抱きしめる信繁。
 
会津城。景勝は家康の詫びを入れ会津120万石から米沢30万石に減俸され落ち込む景勝。景勝を頼るつもりだった昌幸の想いは潰える。深く落ち込む、これしか手はないと筆を取って信之に赦免の依頼を・・・。
・この年、春は信繁の最初の子を身ごもる。「もし女の子ならお梅、源二郎様がお梅さんのことを口にすればこの子のことになるから」と。春は大変情の強い女かもしれない。
 
・慶長82月、家康は征夷大将軍。同じ年、孫娘千姫は秀頼に輿入れしその権勢は絶頂を迎えようとしている。これに信繁は「征夷大将軍になることはすべての武家の統領として名乗りを上げたこと、いよいよ徳川の世になり秀頼の立場は弱くなる」と言うと「運が向いてきた、家康は今浮かれている。赦免もそう遠くない。源三郎に頑張ってもらわねば」と昌幸。昌幸も年を取るにしたがい時間がないと焦っているが、信繁は「家康はそんなに甘くない」と冷静に考えている。
 
○昌幸親子の赦免を願う信之
・信之は本多正信を通じて赦免状を出すが、家康は書状も見ず”ぽん”と投げ、「赦免を考えてやっても」という正信に「ならぬ、死ぬまであそこにいるのだ」。イメージ 9
さらに2年後家康は征夷大将軍を秀忠に譲る。「将軍の職を息子に譲るということは今後は徳川が政を行うということ、秀頼公の天下人の夢は失われた」と信繁。昌幸は相変わらず「今、家康は浮かれている。最後の機会だ。ここで赦免がなければあとはないぞ」と焦りを見せる。
信之が赦免状を送り続けて4年、「もはや牙を抜かれた狼」と赦免を認めるよう訴える正信に「骨になった時だ」と家康。秀忠も「あの男は死んだのだ。もうこのことを言い出すな」と釘を刺す。
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・「いつになったらご赦免になるか」と信之に迫る薫に、稲が「母上様、父上のご赦免は諦めてほしい。夫は父上とは縁を絶ったのです。もう二度とこの城の中で真田安房守の話をすることはなりません。すべて真田のため」ときつく言い渡す。”こう”もこの考え方をやんわりと薫に説く。稲の心がしっかりわかる信之にはここは黙るしかない。稲には頭の上がらぬ信之。()
 
「源二郎、これはひょっとするとわしはもうここから出られんのかもしれんな」と昌幸。夕日のなかで年老いた父の背中を見る信繁、その心中を想うと涙。
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慶長11年7月、秀頼による大掛かりな鷹狩り。凛々しいすがたで、清正を従え狩りに向かう秀頼は「君嘘」の中川大志君、立派です。
 
信繁はある日、この地で江雪斎に会う。「高野山に眠っている北条氏直の供養に来た。これで気兼ねなく身を引くことが出来る。最後は出家で終わりたい」と言う。信繁が「わたしも蟄居暮らしに慣れた」というと「江雪斎を侮るな、お主の眼差しの奥にくすぶっている置き火が見える。いずれ誰かがその火を求めにこよう。楽しみにしている」と江雪斎。さすが江雪斎、信繁のしっかり監視をしているようだ。
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・昌幸が書き物をしていると、村人たちは薪の取り合いで困っているので闘い方を教えて欲しいとやってくる。「敵は50に我20.正面からかかっては勝ち目がない。20を二つに分け・・」と教え始めるが、戦のない今にむなしさを感じあとを信繁に任せる。信繁は「村同士の戦闘は禁じられている。浅野の殿に頼め」と言い含めて彼らを帰すが、戦好きの昌幸の沈んだ姿に信繁は不安を覚える。
 
・孫と”竹とんぼ”を作って戯れる忠勝。戦の世は去ったと家康に隠居を申し出、家康からの指示で桑名で過ごすことになる。大坂の陣を待たず、慶長15年この世を去る。この猛将にナレ死とは、無念。藤岡さん、ご苦労さまでした。
北政所に何とか会いたと信之。かっての政所の侍女であった、当時一流の文化人としられる通に会う。結果は・・・
 
○秀頼と家康の会見イメージ 3
清正は秀頼が立派な若者に育ったこの機に家康に会えば一目置き考えも変わってくると考え、且元に家康との会見の申し込みを依頼する。本多正純は「上洛してまで会うことはない」と進言するが、家康は「上洛する。ただし対面の場を二条城。わしの建て直した城に秀頼を呼ぶ、世間は豊臣が徳川の臣下になったと思う」と会見を受ける。これに清正は「徳川は豊臣の家臣ではないか。向こうから来るのが筋」と反対するが秀頼は「かまわぬ。わざわざ駿府からくるのだ。出向こう。どんな形であれ、大事なのは私と家康が会うこと。二人での対面を怖がる私でない」と家康の申し出を受諾する。
慶長16年4月8日、家康は二条城で秀頼に会見。この際、家康は秀頼に同行する清正に「下がれ肥後守」と言うが、清正、三成の言葉「志半ばで倒れたら命に代えてお主が秀頼様を守れ」(第32回)を思い出し、秀頼の側を離れない。いや、秀頼に対面することで秀頼を上座に座らせたように見える。さすが!。「豊臣の秀頼である」の、この一言が家康を威圧する。信正は「秀頼公が凡庸であればしぶとく生きられたものを」と言い、家康は想像以上に勇ましい若武者に育った秀頼に大きな不安を感じる
家康は帰る清正に、間者を使い毒で傷を負わせ、国に帰る船のなかで発病し2か月後に死亡。家康は汚いことをする、まことに秀頼にとっては痛い。新井さん、本当に純朴で正義感のある清正役、ご苦労様でした。
 
○昌幸の最期イメージ 5
嫡男大助が村の子供に罪人の息子といじめられることに信繁は「罪人ではない、流れでこうなっただけ。爺は徳川を二度にわたって破った人、お前には爺の血が流れている」と元気付ける。昌幸は「こんど言われたらこうせい」「どんな手でもいい、勝った者が勝ち」と戦う術を教授ける。孫に楽しそうに語る信繁。昌幸はこの孫にも夢を託す。と、昌幸が倒れている・・・。

昌幸は、病の床にあって、「孫子にまねて書いた」という書き物を信繁に渡す。「戦場で学んだ全てだ」という。「もう一度、戦に出たかった。遺言じゃ。いずれ豊臣と徳川は必ずぶつかる。そのときはここを抜け出し豊臣につけ。徳川に勝てるただ一つの道、10年考えた策だ。まず手持ちの軍勢をもって真っ先に尾張を制する。徳川が攻めてきたら頃合いを見て尾張を捨てる。いったん近江まで引く。いっとき尾張を抑えたことが大事になるそれで徳川についた大名の心を掴む。さらに瀬田と宇治の橋を落とし敵の追撃を阻み、その合間に二条城を焼きはらう。それで徳川勢は大坂城に攻めかかる。それを大坂城で撃つのだ戦は長引かせるだけ長引かせよ。そのあいだ徳川に対して反旗が挙る。反旗があがれば、敵は大坂城だけにかかっておれない。敵はやがては引くしかない。負ける気がしない」。この作戦、巧妙すぎる。ひとつ狂ったら全部だめになる!
信繁はきっとうまく運ぶと思うが場数が足らぬ自分には難しいというと「場数なぞいらん。心得はひとつ、兵をひとつの塊と思うな。一人ひとりが生きている。一人一人が想いを持っている。それをゆめゆめ忘れるな」と昌幸。
イメージ 4九度山の真田一門が集まる中、昌幸が信繁の手を取り、戦馬が嘶くなかに信玄公を見つけた昌幸「御館さま」。これまでの戦、常に信玄公を追うての戦であったのか、よくやった、見事な死であった。昌幸・草刈さんに会えないのが寂しい。ご苦労さまでした。

記事1 20160926
真田丸草刈正雄演じる昌幸の死は15・7%
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160926-00000088-sph-ent