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第39回「歳月」

昌幸亡き後の九度山で信繁はどう生きたか。信之との再会を喜び、父を偲び、これまでの暮らしについて忌憚なく話し合うふたり。お互い大変な苦難を経ても仲のいい兄弟です。信繁への「いつの日かみんなで暮らすのがわしの願い」と助力を惜しまない信之、兄信之を気使う信繁。この兄弟の絆を大切にする生き方には感動です
九度山での厳しい生活も家族がともに助け合い汗をかき、“たか”がルソンから持ち帰った紐から真田紐を編みだしての商売で耐え忍び、穏やかな日々の幸せを見いだします。碁石に励む大助に父昌幸の影を見ることになり、また共に生活する佐助の力強い支援はこれからの信繁の大きな支えとなるでしょう。
このような状況のなかで、大坂から使者を迎えることになり、信繁の運命が大きく変わり始めます。
きりのこれまでの波乱万丈の人生が、ここにきて春のため、そして何よりも信繁のために役立っている。きりのキャラクターはここにきて生きている。
○信之、信繁の再会
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九度山真田屋敷に信之が訪ねてきて仏壇に父昌幸を弔い。父を偲ぶ。信繁が昌幸の残した、父上が体験した戦の勝ち方を示したという兵書を見せると「貴重なものではないか」といい、敵味方の交戦隊形が書かれているだけで「凡人にはわからぬ。全部こんな感じか。」と言う。ここには昌幸の無念が残されているように思えますが。()  信之が「少しでも早くご赦免を願おう」と言い出すが信繁は「これほど長くいれば今の生活に不満はない」と断る
わしを気使ってと皆の意見を聞くが、春は夫と居る間が多くなってよかったと、きりは村の者に縫い物を教えていてこれが楽しい、佐助はキノコの絵を見せすっかり生活を慣れていること、信繁は子供はここで育っているので問題はないと上田に帰ることのない意志を伝える。内記は、昌幸の死を悔やみ追腹を切ろうとしたが、すでに元気になっていると伝える。
信繁は兄信之こそ領内をまとめてやっていくことの大変さを心配すると「土地の整備をしたりやらねばならんことが多いが、地味地な仕事がわしには合っている」と言う。きりが「お互いに収まるところに収まったということで」と言が、この見方は当たっている。()
 
酒を飲みながら信繁が「御子達は息災にしていますか」と尋ねると「大助は大人しくないか?」と問うてくる。信繁の「私は子育てが苦手、放ったらかしで」に「父上のいい例があるではないか」と子育てについて父昌幸の思い出が語られる
信之が「お前はあれほど父に愛されて。わしは叱られてばかり。大人なってからはことあるごとに面白くない。ことが起これば蚊帳の外」と述懐すると「家になにかあっては困るから、そんな兄は羨ましかった」と信繁。
これに三十郎が「私に言わせれば大殿は、どちらも愛していたと思いますよ。お二人が立派に育ちましたが、大殿が立派な父親であったかどうかは?」と。
ここで信繁から「お願いがある」として「ここでの生活になに不自由ないというは嘘。謝金がかさんで暮らしがきつい。父が生きていた間、暮らしは無理してきたのでそのツケが回ってきた。きりは村人の縫いのもで稼ぎ、佐助は忍びの技を指南し小銭稼ぎ、これではなりゆかぬ」と支援を申し出る。「なんとかしよう、ひもじいおもいはさせん」と信之。
ここでの生活について忌憚なくふたりは話し合う。お互い大変な苦難を経ても仲のいい兄弟です。
いつの日かみんなで暮らすのがわしの願い」と言い残して京に発つ。
・京についた信之はお通を訪ねる。「高台院はもう人にはお会いになりません。堪忍してください」とお通。「それだけではない。あなたと時を過ごしていると心が落ち着く。また参っていいですか」と信之。「御心が晴れるならいつでもおこしやす。次は和歌をお教えしましょう」。信之、九度山訪問を早々と斬り上げて、理屈はつくが稲が聞いたら・・? 昌幸に似てきてる。おもしろくなりそう!
 
・信繁は大助の元服に伴い内記に大助の守役を任せることにする。「私などに勤まらない」と言うがこれは内記にとっても生き甲斐となり、生きいきとしてくる。内記は碁を「この盤面には戦のすべてがある。こころして掛かられよ。囲碁というものを一言であらわせば碁盤は土地、石は杭。相手に四方を囲まれては取られていまうはまさに戦と同じ」と教え始める。
 
江戸真田屋敷。家康は江戸に大名の家族を住まわせ大名達に領国との間を行き来させるという参勤交代の原型を作っていた。人質嫌いの薫が、京を懐かしがり文句たらたら。稲が「徳川さまに任せておけば住みよい世の中になる」と薫を説得。垢ぬけた稲になっており戦は遠ざかった感じだ。() 薫の「源三郎が京に行ったおりにはよい懐紙をかってきて欲しい」に、松は「母は世の流れより顔のながれが大事みたい」と沼田にいたころとは話題の雰囲気がずいぶん変わった。()
作兵衛とともにすえがやってきて。薫はすえに、これは京の御公家方からの贈り物と扇子を見せ、自分は菊亭晴季卿の娘だと言い、「殿は素敵な人、凛々しい若武者でした」と回想、夫を亡くし、すっかり呆けたように見受けられる。「すえにも京の御公家の血が流れてる」と言い聞かせる松。昌幸の死より2年後、江戸にて亡くなる。病名はナレ死。作兵衛はすえをおいて去って行きましたが・・。
 
○厳しい九度山の生活イメージ 8
慶長19年秋、真剣に囲碁を討つ内記と大助。大助まだ内記には勝てないようだがうらめしそう。勝気な子のようだ。きりは梅を助手に村人に針仕事を教える。佐助は子供を集め忍びの技:手裏剣投げを教える。
信繁は、畑作りを楽しんでいる。これを見て「兄上とは大違い」と嘆くきりに、春にはふたりが仲良くやっているよう見え嫉妬。信之から依頼していたもの「そば」が届く。が、今月もそばかと嘆く。春が育ち盛りの子には心配と不平を漏らす。
佐助の小屋を訪れたきり。よかったらとお茶を出す佐助。佐助のきりを見る眼つきが異様。「源二郎さまはどう考えてるのか。本気ならどこまでもついていきますよ。兄貴にまけてはだめだ。あそこの兄貴、糞面白くない。人としてはつまらない。3日いると飽きる。ここで一生終わる人ではない」と、これまでこのようなことを口にしなかった佐助が、信繁の本心を心配している。
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・信繁がこれから村に行ってそば粉を売る商い「信州名物は売れる」と言う。
長兵衛の屋敷で「信州名物そばでござる。あじよしのそ~ば。なつかしい響き、昌幸の追悼ですかね!。お世話になっている村人には10文であわけします。あじ~よしのそばめされそうらえ!!。一方、大助は内記との囲碁対決に励むが、また負けたようだがなにやら考えている。
・「そばがき、もっと売れればな」と信繁。思案にくれて帰ると春が「わたしが作ったものは美味しくないのでしょう」と言い、きりと一緒に商売していることが不満の様子。障子に大分穴が開いていてフラストレーショウンが溜っているよう。障子破りの春。二人の間の中で苦しむ信繁。「出て行けというなら出て行きますよ」ときり。大坂の陣の英雄信繁にこんな悩みがあったんだ() 「わたしがいるのは父と源二郎さんが寂しいと思うからよ。春さんに相談できないこともあるでしょう。そういうときに力になってあげられると思っているの。もう菩薩の心ですよ」。「わからん、一度春と話してみてくれ」と信繁。昌幸流です。(笑)「逃げる気か」ときり。父内記に「大助さんに手加減しては?、大助さんが可愛そう」とこちらにも気を使うきり。もうホームドラマになってきた!!
 
亡き豊臣秀次の娘、本来なら処刑されるところを信繁が自分の側室とすることで秀吉の許し得て助左衛門に託した“たか”が、訪ねてくる。「日本に帰ってなによりも会いたかった人。私、側室です」と信繁に抱き着く。信繁は「方便だった」と言うがこれを見た春は驚き刃物を構える。いまは助左衛門の手引きで手広く商いをしていると言い、海外のめずらしいものを見せ「好きなもの持って行っていいよ」と皆を喜ばせます。
このなかで信繁はサナールという紐、天竺の北の方にあると言う、すごく強い紐に興味を持ち「縦横しっかり織り込んでいる。上田の織物だ」としてきりに織らせてみる。
イメージ 7「紬のようだ」と春ときりも織り始める。織物をしながらきりが「目が粗くなっている」と注意する。確かに春の目が粗くなっている(きつい)?() 「私ひとまずお暇しようと思っている。私の考え。自分に正直にならないと損するよ。みんなあなたに気使ってるの。子を3人も作って。私も源二郎さんの子が欲しいと思ったこともありますよ。もう遠い昔の話よ。余計なこと考えない。あの人にとっては貴方が一番だから」と仕事をしながら話が進むなかで、春の嫉妬心も「きりさんどこにもいかないでください」と言うまでに癒されていく。私のためにきゅ~と紐を引っ張って強く結ばれると言う春ときり、面白い。()
たかが「祖母に会ってルソンに戻ります。助けていただいた命大切に使います。”サラマッポ”、教えない」と九度山を去る。春の心は休まりそうです。()
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これ真田紐、試してみようと佐助は忍びのための綱として使う。「伸びない」使えるとして、信繁は土地のものに売り込みに行くが百姓にはこんな強い紐はいらんと断られる。ここで信繁は、彼特有の才覚を生かし、取引したいと言い「外に持って行けば売れる。それには沢山つくる必要があり、この真田紐を作り売ることを任せることにするがどうか。まずは手付として銭5貫、そして真田紐ということを必ず使うこと。長年迷惑をかけている村の恩返し」と村の金ずるになることを解く。
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真田紐の商売はうまく進みだし、豪勢な食事が始まると久しぶりの食事に内記が喉を詰まらせる。大助がこの場にいないので信繁が不思議に思って探すと一人で碁石を並べている。「お前の爺さまは戦の前は気持ちを静めるために碁を打っていた、私はやらないが、父に教えてくれ」と話し掛けると大助「内記殿のほうがよいのでは」と言いながら、内記に教わった碁石の講釈を語る。「碁盤は土地と思うて下さい、石は杭、石は囲んだところが領地になる」。「お前の話しは分かり安い」。「相手の石の四方を囲めばその石を取ることが出来ます、杭を打って相手の杭を抜いてゆき領地を広めていく」と大助。ここでの信繁の姿は、なんとなく父昌幸に似ている
信繁はしっかり育っている息子との会話を喜ぶ。それも爺ゆずりの戦好き。ここ九度山の生活は貧しいながらも、家族の強い結びつきを感じながら穏やかな生活を堪能している。
○・大坂からの使者!イメージ 6
家族は穏やかに夕餉を囲んで楽しんでいるところに突風が起こり、「左衛門佐信繁さまですね」と大坂城からの使者明石全登が「お迎えに参りました」と現れる。信繁の運命が大きく変わり始める・・・
 



 


記事1 20161003
真田丸」第39話は16・6% 饒舌に変貌した佐助が“悪口”