映画って人生!

宮﨑あおいさんを応援します

「沈黙-サイレンス-」(2016)

イメージ 1

原作遠藤周作氏の同名小説を、この小説に魅せられ28年を経てやっと制作に漕ぎ着けたと言うスコセッシ監督作品。外人俳優のなかに、窪塚洋介浅野忠信イッセー尾形塚本晋也小松菜奈加瀬亮笈田ヨシさんらの日本俳優が出演して、注目していた作品です。原作は読んでいましたが、宗教問答が理解できなかった記憶があります。


この作品はとても気品があります。ひとつは神父ロドイコを演じるガーフィールドがキリストを彷彿とさせる容貌であることです。そして日本の宗教を語るうえでは日本の自然環境が極めて重要ですが、ロケ地が台湾であっても、日本の地形と全く違和感がなく、そこに暮らす日本人が、日本俳優たちによってとても素朴で勤勉・理性的に描かれていることです。
このことが気品を高め、深い思索へと誘ってくれます。スコセッシ監督の日本リスペクトがこの映画によく出ていると思います。

物語は、江戸時代初期、神父フェレイラが日本で棄教(1633)したと聞き彼の弟子・若き神父ロドリゴとガルペがその真偽を確かめに、日本人キチジローの手引きで長崎にやってきて、幕府による激しいキリシタンに対する弾圧に隠れキリスタンとなって信仰を貫き厳しい拷問に耐える信者たちを目にします。
ふたりは彼等の信仰を守りたいと努力するなかで、キチジローの裏切りで長崎奉行に捉えられ信者のためにと棄教(転ぶ)を迫られます。棄教して信者を救済すべきか、信仰を守り抜き殉教すべきかと苦悩するなかで棄教という決心を下すまでの心情、さらにその後の心境が描かれます。

前段の厳しい拷問とこれに耐える信者の描写がリアルで信仰を持つ者の強さを見せつけられます。これを見る宣教師は恐ろしい感情とともに「棄教などとんでもない」と自らの信仰の絶対性を確信するでしょう。

後段では奉行・通辞らによる尋問、体罰、信者への厳しい拷問を見せることで棄教を迫ります。尋問のなかでなぜ幕府はキリスト教を禁止するのかを明らかにし、キリスト教とはなにか、なぜキリスト教が日本で育たないのか、そもそも日本にキリスト教が必要なのかという宗教問題を問います。
そして信者のため救済とはなにか、神父に何を期待されているのか「神は沈黙し何も語らない(沈黙)」と自分の信じる宗教に思い至ることになります。
ロドリゴは自らが弱者に追い込まれ、初めて弱者への慈愛こそが真の宗教だと気付くのです。
棄教を「転ぶ」ということばで表していますが、西洋人にこのニュアンスがどう伝わったか、この言葉のなかには「答えはひとつでないという思考の広さ」と政治的な意味合いも含まれているように思えます。

ストでロドリゴの最期を語ることで、彼の真の宗教人の姿を見ることになり、彼の選んだ道が決して卑屈なものではなく、経典を乗り越えたすがすがしさを感じることができます。このラストが加えられることで、遠藤氏の小説を超えたと思えるのです。
****
イメージ 2
物語、
物語は無音(沈黙)の中で語り始めます。微かな蝉や虫の鳴き声のなかで、煙る雲仙の温泉場で神父たちが熱湯を浴びせられ、苦痛を長引かせる穴ずりの拷問に驚愕する神父フェレイラ(リーアム・ニーソン、これで棄教を誓ったという文を上司から読み聞かされた二人、神父ロドリゴアンドリュー・ガーフィールドガルペ(アダム・ドライバーは「棄教などするわけがない」とその真偽を確かめるため「君たちが最後の宣教師だ」と期待を掛けられ日本に発ちます。途中マカオで案内人として酒場で中国人にも見捨てられているわけアリのキチジロー(窪塚洋介)を雇い長崎に向かいます。

イメージ 3
○トモギ村
長崎、モトギ村に着く。キチジローの案内で村の信者、イチゾウ(笈田ヨシモチキ(塚本晋也らに会い「キリストがあなたたちをよこしてくれた」と歓待され、ふたりは一緒にミサを行い、洗礼・懺悔に立ち会い、仕来りをしっかり伝承して信仰に励んでイメージ 14
いることを確認し神父として大きな自信・喜びを感じます。人里離れた山小屋に案内され「隠れていること。捕まって踏絵を出されたら踏むように」と教えられます。笈田、塚本さんの表情が日本人としてのかしこさややさしにあふれていい感じ、世界の人にみてもらいたいですね。
しかし時間が経つとガルペがこの生活に苛立ちが出始めます。ここでは若さゆえの「こんなことをして何になる」という傲慢さが出ているようにも思えます。
このような時にキチジローの紹介で五島の信者が「オラショをお願いします」とやってきます。
彼等からキチジローは踏絵を踏んだが今でも神を信じているということを聞きます。

イメージ 4
○五島
ロドリコが応じて、霧の海をわたり村にでかけると、ここでも大歓迎されます。フェレイラに会ったという者に出会い「彼は災難にあった。危ないので注意してください」と教えられます。キチジローに会うと「家族は俺を覗いて全員菰に巻かれ焼き殺された。俺は絵を踏んで助かった。神は地の果まで信じている」と告白します。

○トモギ村に、
トモギ村に帰ると、切支丹を信じている者がいるとの訴人があり役人が調べにやってくる。何もないということに、これを上司に認めてもらうために3人の人質を出せということになりイチゾウ、モチキは自らの意志で、キチジローは村人に押され人質になり、浜辺で村人が見るなかで踏絵を踏まされる。三人とも踏むが、イチゾウとモチキは息使いが荒かったと疑われ「マリア像に唾を吐け」と強いられ二人は拒否する。ふたりは浪イメージ 5
うちぎわに建てられた十字架に括りつけられ、夜になれば潮が満ちてきて、身体は顎のあたりまで海につかり2~3日で絶命するという拷問にかけられます。このシーンは壮絶で信じることの凄さを感じます。演じるおふたりが、体重を落とした身体つくりで、懸命に高い海の波に耐える演技には頭が下がります。
この状況を隠れ小屋から覗き見するロドリコらは、あまりの惨さに驚愕します。見つからないようにとこれ以降ふたりの行動は別々にと、ロドリコは五島に、ガルペは平戸に隠れることにします。

イメージ 6
○五島へ、
ロドリコは、五島にやってくると村は無人状態でこのさきどうするかと思案しているとき、キチジローに会います。彼は「なぜここに戻った。危険だ」と言いながら焼き魚を食べさせます。喉が渇き川の水場に行き、水に映る顔をみて「イエスに似てる」と思ったところで役人に捕まってしまいます。キチジローが奉行らの手におちていた結果なのでしょう。キチジローは「パードレイお許しを」と泣き、役人からお金を渡されても受取りませんでした。

○長崎へ
長崎に送られる途中で村人たちと一緒になり、その中にモニカ(小松菜奈)ジュアン(加瀬亮がいます。モニカは「私たちは殺されます、バライソはあるのかですか」と問います。「誰でも神と一緒に訪れるところです」と説明しているところに年老いた武イメージ 7
士(井上奉行でしたがこのときは気付かなかった)がやってきて「年寄りを困らせるな。なんの、少しだけ歩み寄れ。自らでた錆だ、自らの手でぬぐえ。しばらく猶予を与えよう」「百姓はバカだ、何にも決められん。お前が決めろ。信仰を捨てろ。断ったら死刑だ」と話す。

ロドリゴが「罰するなら自分だけにしてくれ」と返すと「お前はバカものだ。彼らの苦しみになるぞ!」と言い、囲み小屋に入れられる。
通辞がやってきて仏とキリストの違いを喋って「転ぶとはギブアップだ。そうしないと村人は救えん!フェレイラも転んだ。いまは日本通で知られ、日本人を妻にしている。大変尊敬されている。お前は傲慢なやつだ。しかし他のやつと変わらん、いつか転ぶ」といって去っていった。
イメージ 8
○尋問
村人は徒歩、ロドリゴは馬に乗せられ長崎に入ると石を投げつけられる。群衆のなかにキチジローを見つけます。牢に入り村人とともにお祈りをして神を説きます。ずっと神がついてきているように思える。久しぶりに静謐な夜を過ごしました。イメージ 13
役人、村人が並ぶなかで、牢から引き出され尋問を受ける。「バードレーの宗旨、イスパニアポルトガルでは正しいが日本では無益だ。危険な教えだ」と奉行が話し出す。ロドリゴは「私は真理をもたらした。どの国でも通用する」と答える。すると「日本では宗教は真理でない。ある土地では根を張るがこの国では張らん。処刑される前には30万の信者がいた。どうせ無理だ。やめろ!」と答えるのでロドリゴは「それは井上様の考えではない」と言うと役人たちが大笑いをする。この人が井上奉行だったのです。

雨の中で村人が引き出され穴を掘らされている。キチジローがやってきてもう一度懺悔したいと言う。「俺は生まれ変わった。また神を信じていいのか」と問う。ロドリゴは彼を許します。彼の「俺は悪いことした。許してくれ」と叫ぶことにロドリゴは「この男には悪というべき価値もない、出て行け!」という気持ちを持ちます。
次の日、奉行がやってきて村人が集められ踏絵を踏まされている。ロドリゴは牢からこれを眺めていた。皆、これを拒否した。ジュアン以外は牢に戻した。そして突然ジュアンの首が斬り落とされた。ロドリゴは興奮して吐くという状態でした。そしてキチジローが呼び出され「生きるための手本を示す」とキチジローに踏絵を踏ませます。彼は躊躇なく踏み、そそくさと逃げて行くのでした。
ロドリゴは井上奉行に呼び出され「すまなかった」とお茶を出され「4人の妾がいたが喧嘩ばかりするので放り出すと平和になった。4人の妾はイタリア、イギリス、ポルトガル、オランダだ。これで日本が切支丹を禁止した理由だ」と言い出す。ロドリゴは「4人からひとり選んではどうですか」と答えると「イスパニアか」と笑い「石女は妻になれん。よう考えておけ」と言い去る。ここでの井上越前守:イッセイ尾形さんの狡猾で相手の気持ちを射抜き揺さぶる演技は見事です。
イメージ 9 
ロドリゴはモニカたち女と一緒に海岸に連れていかれ、そこで通辞に会う。彼が「もうすぐお前が知ってる男が来る」というので待っているとガベルがやってくる。女たちは簀巻きされ海に連れ出され水攻めにされる。これを見たガベルは「私を身代わりに」と叫び彼女たちを追い水没する。通辞は「無残な死だ。彼らに死を押し付けている。カルベは潔かった。しかし、お前は何もせん」とロドリゴを責めるのでした。

夜、牢のなかで「完全に沈黙だ。愚かだ、神は答えてない」とロドリゴは笑い出す。これを見た通辞は「そのうちな!!」と呟いて去る。
次の日、通辞とともにある寺に連れ出されフェレイラに会うことになる。ロイメージ 10
ドリゴは懐かしさで涙を見せます。フェレイラは「天文学と医学の本の翻訳をしていて日本の役に立っている。今はキリスト教を正すために顕偽禄を書いている」という。そして棄教を勧め、首の傷を見せて、「これが穴吊りの傷だ」と話す。これを見てロドリゴは泣き崩れます。通辞が「お前が最後の宣教師だ。切支丹は根ずかん。ここは地獄だ」と棄教を迫ります。フェレイラは「この国は理解しない。彼等は大日を信じ、自然の物しか信じない。神などない。殉死者を見たろう、あれはお前のために死んだのだ。お前が数えられる数ではない」と説得します。ロドリゴは「恥さらしだ」と叫び「私を穴吊にしろ」と言い捨て牢に戻る。大男がやってきて身体を縛り上げ街中を引き廻され侮りを受ける。「井上様が言うた、お前は明日棄教する」と謎かけをして通辞が去る。
穴吊の呻き声が聞こえるなかで、キチジローが「懺悔に来た」とやってきて「5人が穴吊されている」と伝える。
 イメージ 11
フェレイラが訪ねてきて「牢の壁に書いた文字を見たか。お前は私と同じだ。彼らを苦しめるな。お前なら止められる。私も祈った。目を開けて見よ」と言い穴吊りの現場を見せられる。「愛を見せろ!教会のジャッジより大切なことをせよ」というフェレイラの言葉とともに踏絵が出される。ロドリゴは踏絵から「私は人の痛みを分かつために生まれた。お前の生は私とともにある。踏め!!」という声を聴き絵を踏む。これにより穴吊りの人たちが解き放たれた。
○江戸へ
イメージ 12
長崎の祭り、街ではロドリゴが転んだと人の口に。ロドリゴはフェレイラとともにオランダ貿易会社の商品にキリストに関するものはないかと鑑定したり、井上奉行の隠れキリシタン探しに立ち会う。自分は軽蔑を受けているが「心を裁けるのは、自分の心だ」と思っている。
沢野(フェレイラ)が亡くなり、彼の仕事を引き継いだ。このころには彼なりに言葉もわかり、井上奉行から「江戸に行って岡田と名乗り嫁を貰え」と勧められる。奉行は「島々にはまだキリスタンはいるがもう絶たれている。形を変えたのだ」と言い「お前は私に負けたのではない。この土地にまけたのだ」と語ります。

ロドリゴは残りの人生を江戸で過ごしました。井上奉行は彼に何度も棄教の証文を書かせました。妻子とともに過ごしていて、キチジローに会い「転び証文」を書いてる話をし、彼に「ありがとう。一緒にいてくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えます。キチジローは「ハードレー、私はいまでも苦しんでいる。私はあなたを憎んだ」と言って懺悔を願い出ます。「俺は違うんだ」と断り、「私は主と一緒に苦しんだ。主が沈黙していても、今の人生はすべてあの方が語っている。私は沈黙のなかで何度も声を聴いた」と話して聞かせます。
定期的に何度も踏絵を踏まされ、踏んだ。あるときキチジローは踏んだあとで胸に何か入っていると調べられキリストの絵が発見され連れていかれた。それ以来訪ねてくることはなかった。

ロドリゴは死に際しても、火葬場に運びだされるまで調べられた。葬儀の最後に妻がそっと刃物(カミソリの刃)を持たせ、佛名を付け荼毘に伏されました。
彼は最後の背教者と言われるが、その真偽は神のみが知っている。火葬されるなかの彼の手には十字架が握られていました。
                                *** 沈黙 ***