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「関ケ原」(2017)

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原作は司馬遼太郎氏の名作小説。監督原田眞人さん、岡田准一役所広司有村架純さんら豪華キャストで映画化。
原田監督は、「駆け込み女と駆け出し男」(2015)を公開した際、時代劇を撮りたいと仰っていましたのでどんなものが出来るのかと期待しておりました。「関ケ原」と聞いたとき、「これが映画化できるのだろうか」と驚き「何で、今なんだ!」と疑問を抱きながらも本作の公開を期待して待っていました。
鑑賞後の所見は、“監督らしい作品だ”ということです。司馬遼さんの「関ケ原」をしっかりリスペクトしながら原田版「関ケ原になっています。司馬遼さんの「関ケ原」が好きな人はこの作品は嫌いという人もいるのではと思います。この作品の主役は石田三成で、三成の義を通すための戦闘が主題です。いまの時代にこそ正義が必要だと声を上げているようです。
 
冒頭、関ケ原に進出した石田三成岡田准一さん)と島左近平岳大さん)が野に転がっていた石像を小さな祠に丁寧に戻し、この地は1000年の昔壬申の乱の決戦の地、勝者大海人皇子の例を引き、この地で戦勝を誓うシーンから始まります。このシーンは原作にはありません。
“先史に倣い不義を倒し新しい日本国を造る”を暗示するシーンです。これこそが監督の言いたいことなのだと思います。「おれは三成だ」と仰っていますが、冒頭のこのシーンがそれを物語っていると思います。この監督の気持ちで作品を観るととても面白い映画です。(#^.^#)
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次のシーンは少年が近江の寺を訪れ“かいわれさん”という御爺ちゃんから「三成の三献の茶の逸話」を聞きくシーンです。まったく原作冒頭の記述に同じで司馬遼さんへのリスペクトを表明しています。そして、ヘンリミラーのいう「思い出すところから書け」に従って、話しを進めることを宣言します。
 
ここから、原作をなぞるように関ケ原の戦さ前日までの三成と家康のかけ引きが、監督らしくドキュメンタリー風に、圧倒的な映像美で描かれます。どのシーンも面白くできているのですが展開が早すぎて分からない。これが悪評の原因でしょう。
三成と直江兼続松山ケンイチさん)が寺の本堂で家康を討つための戦略を練るシーンは、いかにこの戦略が大きな構想であるかを示すもので、秀逸でした。「何回も観に来てください」と言っているのでしょうか。(笑)
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ここからねたばれ(要注意)
初っ端、15957月の関白秀次が謀反の嫌疑で切腹を命じられ、その妻や側室、侍女など20人が三条河原で斬首されるシーン。原作には記述はありません。石田三成が検分官として着座して「弱い女性がどうして連座するのか?」と漏らしていると、隣りの大谷刑部(大場泰正さん)が「もう奉行はしりぞきたい」と漏らす。ここに「道を開けろ」と小早川秀秋東出昌大さん)が馬で走り込んできて三成に「駒姫を放せ!」と叫ぶ。突然、侍女のひとり初芽(有村架純さん)が役人と斬り合いになり傷を負う。これを見た三成が「女の処置は俺がする」と引きとり、見物人のなかにいる島左近を見つけて追う。このシーン、主要人物が全員登場、いずれもこの処分を不当とみなす正義の者たちです。
この作品で最も大切なシーンです。ここから、これら人物を巡る物語が始まります。
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島左近は三成の「天下悉く利に走るとき、ひとり逆しまに走るのは男として面白い仕事」という言葉に惚れ、常に身近にあって補佐・助言に徹し、最期は関ケ原で壮烈な戦死を遂げます。この死は美しく壮大な死様に描かれています。監督は左近に強い思い入れがあるようです。(#^.^#)
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初芽には原作の初芽とは異なって大きな役割を持たせています。「人とも女とも思うてくださいますな。放ち飼うてくだされば相応の働きをします」と忍びの者として三成と主従関係を結び東軍の情報を集めに奔走しますがしだいに三成に魅かれていきます。関ケ原の戦場を駆け巡って三成の戦闘を見つめ、ラストで、三成が刑場へと引かれていく途中で「大一大万大吉」(万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば、太平の世が訪れる)と声をかけるシーンは三成の思想を今日に伝える役割を与えたものでしょう。
この役割は三成に愛された女でなければなりません。三成は戦いのなかで常に初芽の生死を気にします。初芽により、三成の原作イメージが大きく変わり、ずいぶんと愛情深い男として描かれています。また、物語の繋ぎとしての役割もあります。
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小早川秀秋の人物像は、原作とは大きく異なります。三成と同じく正義の人であったが、秀吉に朝鮮出兵の際の軽率な行動を叱責され、これが三成の諫言によるものだと家康に教わり、三成を憎むことになります。
関ケ原進出には、遅参し鐘を鳴らしながら横柄に松尾山に陣を張るが、三成の説得や島左近の息子信勝に襲われ「三成の味方だ」と言い出し側近に諫められる。
そして、戦闘後、捕縛され大津城門の側に座らされている三成に「お主を立てることもできず、家康に長い年月をかけてやられた。不義に倒れた。許してたもれ」と詫びます。
三成は圧勝だったのです。正義を貫くことで敵をつくり、その僅かの差が関ケ原の勝敗を決めた。「義の戦」の難しさを浮き上がらせているように思えます。
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大谷刑部関ケ原の戦場に進出し「大垣城に入らない」と主張し三成の関ケ原決戦を強く支持します。
決戦前夜、秀秋の裏切りに対応できるよう陣地変換し、猛将でなければこの時期の陣地変などできない、三成に「松尾山に行け。お前の人物をさらけ出せ!」と強く説得します。
戦闘にあたっては、常に秀秋の裏切りを警戒し、三成の護衛役に徹します。しかし力つき「敵に首を渡すな!」の言葉を残し自決します。
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徳川家康役所広司さん)の人物像はほぼ原作どおりですが印象的に描かれます。三成が加藤清正(松角洋平さん)ら武闘派に追われ家康の伏見屋敷に逃げ込んだ際、三成を敵に仕立てるよう「わしの相手は三成、はらわたが煮えくり返る。この演技、すばらしいです。
明朝、警護をつけて佐和山に送りとどけろ!」と野望を露わにし、決戦にあたっては、三成をじらして東軍の前線陣地赤坂に進出。岡山の安楽寺に入り明日の攻撃に備え母衣籠を編み、これを身に着け「あと一歩まできた。これも母衣のおかげよ」と本殿を駆ける。
「三成が大垣城に着いた」の報告に、「決戦地は関ケ原、桃配山へ前進」と決心し「天下が手にはいる」と嘯く描写がすばらしい。
戦が終わって大津城で三成に対面し何も語らないシーンは、三成への思いやりのように思えます。
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石田三成関ケ原に入ってからは不眠不休。夜になって大谷刑部に諭され松尾山の小早川秀秋の陣地に徒歩で赴き膝を折って「勝てば貴殿は関白、わたしは好きな女と旅にでる。毛利の義のみが勝つ、撃って出て欲しい」と懇願します。また、激戦のなか撃って出ようとしない島津の陣地に馬で赴き「勝利は目前、動け!」と催促する。
関ケ原にきてからは、どんな恥をも忍んで勝ちたいという執念を見せます。自ら弓をとり、馬で駆け敵に挑む三成。原作の三成のイメージを戦う武人として大きく変えています。遂に破れ「これぞ我が生死」と刑場の露に消えます。
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東本願寺書写山円教寺、姫路城等々の歴史的建築物でのロケは、物語に歴史的な重みを感じさせます。そして多くのエキストラや馬、火砲、火薬を使用して描く戦闘描写は、原作の戦闘シナリオを踏襲するものの何重にも渦を巻きながら戦が続き、はるかに原作の世界を超えるもので迫力があり圧倒されます。
 
三成が好きになります。今の世に三成が必要だと思へ、これを守ってやりたい左近の気持ちがわかります。司馬遼さんの原作を尊重しながら、三成の義の戦を際立てるという原田版「関ケ原」、これもありと楽しむことができました(#^.^#)
 
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