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第39回「虎松の野望」

イメージ 1若い虎松の登場で一気にドラマが活気づきました。虎松の目力と“般若顔”が目立つ回でした。あの甘ったるい恋愛モードはもういらない。万千代の家康に仕える第一歩が秀吉と同じ草履取りから。なんか変りばえがしない話!
再会での虎松の直虎に対する挨拶、「・・おとわ様」。直虎の再興する気持ちがないことを聞いて泣き崩れ、南渓の「(直虎はもう城主ではないのだから)聞く必要がない」を心に秘めての育った虎松。直親の明るさ、政次から鍛えられた脳みそ、“しの”のしつこい性格()、そして子坊主として寺の飯を喰った子、これだけで充分すぎるほどに武将としての資質がある。武士の第一歩は早飯、早糞、挨拶。短気で、すこし行儀が悪い。挨拶だけはしっかりするように!と言い添えたい。徳川側近の親父どもは大変だぞ!これを抑えてこそ直政。鷹匠ノブがきも?

井伊の里を見て井伊再興を決心し、直虎の反対を押し切り南渓を使って瀬名から家康をも動かすという智恵、この年でできるものではない。とても独立心が強く、一物をもって育ったように見える。
顔を真っ赤にして“般若顔”ではっちゃめちゃに前に進む態度。菅田将暉さんが、しっかり気持を乗せて演じてくれとても気持ちがいい。虎松が井伊をどう変えていくか、この男の描く城主をみたいものです。亥之助を演じる井之脇海君、これも気持ちがいい演技です!期待しています。
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「松下の虎松です。元気そうでなによりです、おとわ様」。井伊が潰れて6年、天正2年1214日、直親の十三回忌の法要が行われました。直親の忘れ形見虎松はいまや松下家の養子。井伊家との繋がりが途切れたまま、15歳の春を迎えようとしていました。
○虎松の無念
法要のあと、新野の屋敷。イメージ 2
直虎が、成長した虎松の姿に、直親が元服せずに井伊谷に帰還してきたときを懐かしんでいると“しの”から「虎松は徳川に仕えたいと言っている。松下家の行く末にめでたいのではないか。いずれふわしい方に烏帽子親になっていただくのがよいのではないかと、自ら言い出した」ことを聞きます。
「虎松は直親にどことなく似ており、笛もふけ、絵も上手い」と聞いて、虎松のなかにはいろんな人が生きていると思うのでした。しのが「ふたりが無事お仕えしたら、こちらに戻り、髪をおろしたい」という。
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虎松と亥之助は、直久の案内で村を見に出かける。
そこで、武田軍に焼かれた井伊谷がしっかりと復興していることに感動する。直久が、「この復興は領主の近藤ではなく、直虎が尽力したものである」と説明すると、虎松は「諦めよというたくせに!」と“般若顔”で悔しがる。

徳川様にお目見えするときにと、祐椿尼と直虎は、井伊の木綿であやめの刺繍を施し小袖を自分たちが縫って贈ることを“しの”と話しているところに、虎丸らが帰ってくる。
虎松は「里を見て感激しました。これがすべて殿が手掛けられたこと」と言い「井伊家を再びとは思うておられませんか」と問う。直虎は「ない。家名や土地を取り戻したいとはつゆほどに思わぬ。ないほうがやりやすい」と答えます。「お考え、よう分かりました」と下がります。相手の気持ちを聞いて、考えるという姿勢がとてもいい。若者への手本のようなセリフです。

○虎松の秘策
南渓が六左衛門を相手に酒を飲みながら、「小姓に上がる話、ほかに何か聞いていないか」と聞く。「特には」に「虎松はもう、忘れてしもうたのかのを」と、六年前の鳳来寺で直虎が再興を諦めたことを伝えたおり納得せず泣き喚く虎松に「井伊を取り戻せばよい。よく考えておけ!」というたことを思い出すのでした。
そこに虎松がやってきて「村がすばらしかった。虎松は何がなんでも頂戴したい」と言い出す。そして、南渓に届けて欲しいと書状を渡す。虎松は忘れていなかった!イメージ 5
帰り道、虎松は“井戸”に再考の望みを伝え、松下にどう申し開きをするかと心配する六左衛門に「八方丸く収める、俺を信じろ!」と言い放つのでした。

龍潭寺を去るにあたり、直虎はふたりに「そなたらの中に井伊や小野の方々が息づいている。誰にも見えずとも井伊はそなたらの中にある。これからは松下の名のもと、世のために使って欲しい」と言葉を贈ります。六左衛門がこれはまずいと渋い顔・・
このころ、南渓は直虎に「どこえ」と問われて「鳳来寺」と答え岡崎に急ぎます。このころ徳川家は拡大した領土を治めるため、浜松と岡崎を二大拠点としていました。家康が浜松、岡崎には嫡男信康が城主であった。

浜松城では、家康のもとに常慶が虎松らの出仕を願い出る。すると、忠次が「井伊と小野は徳川に遺恨がある」と反対する。家康は「よかろう!遺恨を消せる」と大賛成。

イメージ 4一方、南渓和尚岡崎城を訪ね瀬名と面会。瀬名が大変美しくなっています。「お初にお目にかかります、大叔父上」とすっかり若武者になっている信康に会う。信康が「嫡男にめぐまれない」と相談をかける。「それはちとコツがある」と南渓。そして、瀬名に「井伊直親の遺児・虎松からのお願いにございます」と一通の書状をさしだす。数正が控えている。

数正が浜松にやってきて家康に「虎松が井伊の名で仕えたい」という文を差し出す。
「己から井伊とは言い出せない」と言うていると忠勝。「井伊と名乗れと殿に嘆願してきたことか」と康政。これを読んだ家康は「瀬名はなんというている」と数正に聞くと「虎松の意を汲んでほしい」。「常慶や忠次のこともあり少し考える」と返事し康政に意見を聞く。「松下として受け入れるほうが無難」と答える。

直虎はしのの文で虎松のお目見が決まったことを知り「もしも井伊があのまま潰れずにおれば、私も今頃、虎松に家督を譲っていたのですかね」と裕椿尼に語りかけるのでした。あの子たちの時代が始まると感慨に耽るのでした。

○虎松の仕官
虎松と亥之助は、直虎らが準備した虎松には虎と亀の刺繍、亥之助には亥と鶴の刺繍のお守りが届けられ、「これは父直親と但馬がやれよと言うってくれている」と勝負に心躍る。
お目見の日。出発にあたり父源太郎から「虎松。そなたは少々才気走ったところがある」と注意を受けます。
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鷹狩り中の家康、鷹匠のノブに虎松の一見を聞かせると、「本人に選ばせてはどうですか」という。
お狩り場。虎松と家康の対面の日。常慶に促されて、虎松と亥之助は家康のイメージ 6もとに歩み出る。家康は常慶に向かって「井伊の遺児に、小野の遺児。この者は心に内では虎松は井伊の者として仕えたいと思うていると思うが」と切り出す。そして、虎松に念を押す。虎松は「実は心の底では井伊の再興を夢見ていました。まさかこのようなことが」と答える。
常慶は驚き、「松下としては承知できません」と言い、忠次がこれに反対。家康は「井伊はわしが潰したも同然」と言う。「話はここまで」と康政がとりあえずこの場を収める。
突然、家康は、井伊家が万年続くよう虎松に「万千代」、亥之助に「万福」の名を与えるのでした。
虎松は「井伊万千代、このご恩は一生忘れませぬ。身命を賭し、お仕えする所存です」と神妙な顔で挨拶をする。

松下家では、源太郎が常慶からことの次第を聞いて卒倒する。六左衛門が常慶に問い詰められ、あまりの成り行きに卒倒。家康も家臣たちに松下に申し訳できぬと謝るのでした。そこで一案を・・・
虎松は「殿のあの笑いが気になる」という。「まあいいか!」と気にしないことにする。感のいい子のようですね!

翌日、浜松城にあがった虎松と亥之助は、重臣たちに「井伊直親が一子・井伊万千代と申します」と挨拶。「井伊?」「潰れたのではなかったのか」「松下の子では?」と声が飛ぶ。「これは勇ましい」という忠勝に「本多忠勝さま、お褒めにあずかり光栄にございます」と挨拶すると「一度に名を覚えたか」と言われ一礼する。30人もの名前を集中して頭に叩きこんでいたのです。

康政によって二人に与えれた役割は草履番でした。「小姓として仕えという話ではなかったのか」と意義を申し立てる万千代たちでしたが、「その話は陰日向となり徳川を支えた松下家とした場合の話じゃ」と言われる。
これにどう応じるかと家康が「松下というなら小姓にできるが」と問うと万千代は「日本一の草履番を目指す所存でございます」と威勢を張る。万千代、痛快、豪快という感じを受け、後半のドラマが楽しめそうです!

玄関側の部屋に帰ると、万千代は真っ赤になって「やられた!なんじゃ腐れ小狸が。俺はまだ15才だ。いい年をした大人どもが、恥を知れ。いつか、必ず殺す。寝首をかき、血の一滴まで狸汁にしてすすり尽くしてある!」と喚くと、万福が「寝所に入るにはまず小姓にならねば!日の本一の草履番にならねば、小姓にあげてもらわねばなりません」。これに万千代は「皆の草履を預からには名を書いた札がいる」と言い出し、準備するふたりでした。こうして、のちに徳川四天王の一人と称される井伊直政の、出世の第一歩が始まるのでした。
“しの”があわてふためいて南渓に、「井伊の虎松となって仕官することになった」と抗議にやってきます。

記事 20171002
おんな城主 直虎:第39回「虎松の野望」視聴率11.7% 虎松が大奮闘も…
                                      ***つづく***