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第45回「魔王のいけにえ」

イメージ 1史実として有名な信康自刃事件が語られました。賢い信康がなぜ自刃に追い込まれたか。すべてが「信長のいけにえ」という説。信康の家臣近藤武助の家康暗殺未遂から始まって、長丸の誕生、信康の側室選び、徳姫の訴えと忠次への問責、於大の助言などうまく絡めて語られました。

家康暗殺未遂による浜松勢の仕打ちや長丸ができたことなどに、信康が周囲を気遣った発言や知恵はすばらしい。光秀による官位の勧めを断る信康、その聡明さが際立っています。この聡明さが信長の癪に触ったか? 信康;平埜生成さん熱演でした。
良い仕事をするには2段階上の立場を考えて行動せよ!とはよく言われる。まさに信康はこれに該当。しっかり信長の考えを押さえての行動だったのに。なぜ、元武田にゆかりのある子である側室を認めたか。

信康が武田に通じているという信長の言いがかりに、使者の忠次が信長の威圧に押されこれを認めたことで徳川が窮地に立たされる。家康は何故忠次を使者に立てたのか?
於大が家康に「信康を斬れ」というくだり、余りの非情に驚きます。涙のなかで下す家康の決断、泣けます。家康に強さが見える。

瀬名の命を差し出しての嘆願、懸命の親吉の訴え、涙がでました。この時代の恐ろしさがしっかり描かれました。浜松勢に連れ去られる信康のことばが立派だった。
万千代、家督がどうのという次元の問題ではない!そんなものはいつでも引っ剥がれるぞ!
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家康の命を狙った岡崎の近藤武助、この曲者は家康の嫡男信康の家臣だった。一方命を守った万千代は一万石の知行を得、家康の家臣として名を挙げました。万千代は「岡崎衆の全てを戒める」処断状を伝える役割を負うのでした。

〇信康の適格な対応
家臣たちから岡崎衆をすべて罰するのはあまりにも厳しすぎると不平が出る。
信康は全て自分の力不足として頭を下げ、これではあまりのも口惜しい、今後一層岡崎の地力を見せてやろうと皆の心を引き締め、幾多の合戦で勇敢に戦い信頼の回復に努め、半年が過ぎた。イメージ 2
信康は、囲碁を挟み、家臣たちを岡崎城に戻すことを家康に申し出るが「忠次が譲らん」という。「それでは浜松と岡崎が不仲に見えるのでよろしくないのでは。徳川のこの先にため」と意見を述べ、家康もこのことを考えることにする。

○家康に男子誕生イメージ 3
そんな中、家康の側室に男子が生まれる。二代将軍秀忠である。於大の方は上機嫌であるが、なぜか家康と忠次は不機嫌。於大の「守役に、武勇に優れ、学も深く、若い人が良い」を聞いて万千代がどきりとする。
康政に廊下に呼び出されると「私には務まらない」という、「何を勘違いしている。岡崎に行ってくれ」と言われる。「この役は重すぎるし、自分は岡崎によく思われていない」と訴えるが、「ならばここで心証をよくしておけ」と聞き入れられない。

岡崎城に赴き、信康に報告すると「新たな和子が」と喜んでくれるが瀬名が怒気を露わにしている。康政が「岡崎は喜んでいると伝えてくれ」と、ぴしゃりと岡崎の不平を押さえる。
万千代が浜松に戻りありのままに家康に報告すると「弟が生まれただけなのに」と不満気。万千代が「岡崎はいま立場が弱い。弟君が生まれただけで不安を覚えるかもしれない」というと家康は「岡崎の喜ぶことをなにかしよう」と答え始める。

岡崎では瀬名が嫡男のいない信康に側室を持つことを勧めている。これには信長の姫・徳姫への遠慮を気にするが、瀬名は「男子が生まれず信康のあとを長丸が継ぐようになることは織田にとってうまい話しではない」と側室を持つことを進める。

畑から帰った直虎に瀬名からの文が届いている。「信康の側室を捜している。井伊谷に年のころのよい後家又は男の子の産まれやすい出ということで」という問い合わせだった。
イメージ 4そこに方久がやってきたので、話を聞いて「高瀬はどうか」と言う。直虎は高瀬は条件に会わないと断る。「それでは近藤に相談してみては」というと、「お家騒動の匂いがするところには近寄らん」と拒否。南渓が「瀬名が頼みごとをするなどよほどのことではないか」と促すと、引き受けることにします。

そのころ信長のところに「浜松に信康殿の弟が生まれ、信康殿は側室をもつことになった」という文が届く。様子見に、光秀が岡崎城に送ることにする。
やってきた光秀は「義理の父として岡崎を助けてやりたいと仰せです。官位を授かってはどうか」と勧める。「案じていただきありがたいが、舅が織田の上様であり、この一件で十分です」と断ります。
光秀を見送って数正に「舅殿は私を取り込み、ゆくゆく父上に謀反の一つでも起こさせたいのだ。父は先刻知っている」という。

○信長、信康への嫌疑
家康は岡崎衆に岡崎城に戻す案を評定にかけていた。「岡崎衆は岡崎城に戻す。そして家康が岡崎城に、信康が浜松城に入る」という案。「信康が浜松に入ると、織田の覚えはよくなる」とこの案を信長に申し出るという。
評定を聞く万千代が「なにやら井伊が今川にへいこらしていたころを思い出す」と言えば万福が「にらまれれば、ひとたまりもないでしょうね」。
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安土城。忠次が家康の使者として信長に面会。いきなり「何故徳川は与を欺こうとするのか」と問うてくる。光秀が徳姫からの書状が来ていると取り出し、「信康は徳姫に断りもせず側室を置き、ないがしろにしている」責める。

信長が「書状によると信康は武田に通じているといいうが、本当か?」と問イメージ 5
う。さらに「浜松に子供が生まれ、立場が危なくなると思うた岡崎が謀反を考えるのはない話ではない。もしや浜松の指図で岡崎に内通させているのか?」。

「めっそうもない」と否定すると「徳川殿は自分の頭越に武田と結ぼうとしたり、敵と和睦したりする」と責める。これを否定すると「岡崎が、信康が勝手にやっているということでよいな!」と畳みかける。これに忠次はうなずく。今川嫌いの忠次を使者に立てた家康の失敗ではないのか!

浜松城。「信康様が武田に通じていることを認めたということか」と忠次が責められている。家康が「これを機に、信康を廃してしまえと考えているのか?」と疑う。たまりかねた康政が「織田の言い分を検証してみよう」と言い部屋を出る。

岡崎城。瀬名は訪ねてきた康政から城替えの話を聞き、「それでは側室として、浅原殿、日向殿を連れて行く」と言い出す。共に元武田家臣の娘。康政が信康に「徳姫は怒らないのか」と聞くと「自分から気遣っている」という。「しかし、この折に、ありがたい心使いだ」と数正がいうと信康は・・

浜松城に戻った政康。「側室が武田の元家臣の娘であるが、これをことさら問題にすることでもなく、徳川の言いがかりではないか」と報告する。忠勝が信康が官位を断った話をすると「取り込めぬならいっそ、ということか?」と忠勝が問い糺す。「もはや信康様の首を差し上げるしかない」と忠次が言えば、家康は「誰のせいでこうなったか!そなたはもう織田に参じよ」と言い放って席を外す。この騒動では、家康が臣下にはっきり物を言うようになっている。

イメージ 10万千代が家康の部屋出た康政に「徳川は織田の味方のはずなのになぜこのようなことに」と聞くと「徳川が大きくなりすぎたからだ。於大の兄水野殿が武田に通じたゆえ殺せというてきたことがある。3年前だ。このとき水野殿を斬った」という。
そこに於大がやってきて家康に会う。於大はいきなり「信康を斬りなさい。長丸ができて、信康がいなくなっても大事はない」という。
家康の「人の子の母とも思われない」に「武家というものはそういうもの。家を守るためなら己、親兄弟、子の命さえ人柱として立たねばならぬ」と目に涙をためていう。家康は「わかりました。信康を斬ります」と答える。そして、康政に常慶を呼びにやる。於大:栗原小巻さんの目力による説得がすばらしかった!
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○家康、信康を幽閉
数日後直虎は南渓とともに岡崎城を訪れると、城のなかは活気がある。久しぶりに会った瀬名はうれしそうである。聞くと「家康がこちらにきて、信康が浜松にゆくことになった。信康が跡継ぎであることを内外に示すためだ」という。
南渓が彫仏を見せ「井伊から側室をだすのは難しい」と伝えます。瀬名が喜んで数正に信康と徳姫を呼びにやると、大きな声が聞こえる。
信康が浜松勢に取り押さえられている。康政が「武田と内通したかどで大浜城に幽閉のうえ、死罪とする」という。理由は武田の元家臣の娘を側室に入れたからだと聞いて、瀬名が「それらを選んだのは自分だ。私を裁いてください」と家康に申し出る。
イメージ 8家康は「奥は乱心した。下がらせよ」と命じる。「なにとぞ私の首で」と親吉が信康を連れていかせまいと立ちはだかる。岡崎衆が続々と「それがしも」と声を上げる。これに信康は「鎮まれ!私は内通などしておらぬ。きっと殿が晴らしてくださる。イメージ 9はやるは真の敵を喜ばせるだけだ!」と皆を説き伏せる。
そして「短慮に走るな。必ず帰ってくる」と言葉を残し連れてゆかれる。この様子を見た直虎は尚親を思い出し胸が痛むのでした。

浜松のとある屋敷。常慶が人を待っている。入ってきたのは氏真。家康の密書を見せると「瀬名の父はわが一門。信康は今川の血を引く者。かような話、力添えせぬ理由などどこにもない」と氏真が立ち上がる。透かしの扇子、よかった。
                               ****つづく***
記事 20171113
柴咲コウNHK「直虎」焦る瀬名が不穏10・7%