映画って人生!

宮﨑あおいさんを応援します

「火花」(2017)

イメージ 1
原作はお笑い芸人又吉直樹さんによる芥川賞受賞の大ベストセラー作。菅田将暉さんと桐谷健太さん主演で、監督は芸人でもある板尾創路さん。お笑い芸人の視点から「どう描かれるか」と期待していました。

お笑いの世界に生きる若者たちが、夢と現実のはざまでもがきながら繰り広げる熱き人間模様を笑いと涙で綴る本作。作品そのものが漫才テイストで、笑って、涙して、笑った。今年一番の作品です。(#^.^#)

火花が花火にはならなかったが、無数の火花があってこそ大輪の花火になるという結末。夢に向かって、もがき苦しんで、報いられずお笑い世界を終える青春時代。夢は叶えられなかったが、お互いが競い合ったことが新しい笑いを生み、そこに自分が生きた青春の意味があるという結末。
この結末は、極めて普遍的で、自分の青春に重なり、人生を振り返るような作品でとても感動的でした。

本作、お笑いコンビ“スパークス”のボケ担当、徳永(菅田さん)。鳴かず飛ばずの日々を送っていたある日、営業先の熱海の花火大会で“あほんだら”の先輩芸人神谷(桐谷さん)と出会う。その天才肌の型破りな芸風と人間性に惚れ込み弟子入りを志願する徳永。すると神谷は“俺の伝記を書いてくれ”と突飛な条件を出し、徳永を弟子に迎える。こうして2人の奇妙な師弟関係が始まり、徳永は神谷のお笑い哲学に深く心酔していく。そんな中、くすぶり続ける神谷とは対照的に、徐々に売れ始めていく徳永だったが…。(allcinema
****
冒頭、ぽんぽんと火花の上がる音。この世界に入ったばかりで夢一杯のスパークスが先を目指して頑張ろうというつぶやき。熱海の海辺の砂に身体を埋めて海をみやる神谷のシーン。スパークス(徳永)の純朴さと神谷の変人ぶりを際立たせている。
イメージ 2
2001年の夏の熱海。夕刻、花火が上がるなかで、客もほとんどいない急拵えの演台でスパークスの漫才が始まる。
「ペットねた」で喋っているがよく分からない。そこにオートバイに乗った一群の悪ガキが集まり、漫才を茶化しはじめる。スパークスが持ち時間がきて演台を降りるとあほんだらが「仇とってやる」と演台に上がり、悪ガキたちを指差しながら「地獄、地獄、地獄。罪びとばっかりや!」とはやし、小さな子ずれの母親を見つけ「楽しい地獄」と言い、笑いを取る。度胸があり、破天荒で、純粋なパフォーマンスを見せる。この漫才は面白く、笑った。桐谷さんのぶっきれた演技が役に嵌っている!

ここに徳永が惚れこんだのだろう。神谷に誘われ居酒屋で飲むことになり、神谷が自己紹介を求めこれに答える徳永。“ふたりの会話は完全に漫才”になっている。
これで意気投合し「おまえ学があるから自伝を書け」という。これから1年後、2002年大阪を拠点にしていた神谷が東京に出てきたところから、物語がはじまる。

神谷と徳永は、時間を見つけては会い、吉祥寺の町を徘徊し、飲みながら語る。ふたりの会話のなかに神谷の漫才哲学がある。
イメージ 3
井之頭公園で奇妙な太鼓を演奏するお兄ちゃんとの出会いで見せる神谷のパフォーマンス。神谷の顔を見て演奏を辞めたお兄ちゃんに「なんでたたくのやめるんや。自分を表現しようとやってるんやろ。俺はどんな音がするのか聞きたいんや。楽しませてくれや」と演奏を促す。演奏を始めると、その音に合わせ、まるで演者を指揮するようにして「太鼓のおにいちゃん、真っ赤な帽子のお兄ちゃん」と雨の中で踊る。ここでの芸の何たるかを語るシーン、神谷の考えがしっかり表現されている。

神谷は真樹(木村文乃さん)と同棲。美樹は嘘ついて風俗で働いている。変顔で笑わせて神谷を支える。が、神谷は全く頓着しない。こんな神谷に奢ってもらって過ごす徳永。やがて神谷は生活破たんへ。
イメージ 4
神谷の哲学は「あらゆる日常はすべて漫才のためにある。偽りのない純粋な姿を晒せ!」というもの。既存の漫才を壊して新しい笑える漫才を目指し、一切妥協しないで突き進む。

しかし、次から次へと若い人が現れる漫才界にあって、競争して食べていくためには神谷のように社会通念を無視して、自分の考え方だけで突っ走ることはできない。尊敬・傾倒する神谷であっても溝が出てくる。それでもふたりの絆にひびがはいることはなかった。
神谷に会えば「徳永の本音が出ていない」と理想の漫才論に及ぶが、相方山下(川谷修士さん)のことも考えねばならず、徳永が苦しむ。彼は「自分の物を捨てられないから、“ざる”の目細かくしているんです。無駄なものが一杯入ってくるがいつでも捨てられるんです。それ、怒らんでください」と世間と折り合いをつける。

神谷は、2008年「新春マンザイバトル」で、口パクでマンザイを演じ漫才界を追われる。() 真樹とも別れ、彼を舞台で見ることはなくなる。
イメージ 5
スパークスの漫才が、徳永が神谷と付き合うことで、少しずつ変化・成長していく。ここが監督の腕の見せ所です。相方山下との夜の公園でのネタ合わせで、山下の反応が遅く合わない。山下が嫌がるが、“ねた”が自分への敬意にあふれていることに気付き態度を軟化させるシーンには泣けます。「相方は、友人でも、家族でもない」という神谷の態度とは違う。数多くのオーデイションをこなし、すこしずつ売れてきて、TVにも出演するようになる。
しかし、この世界、“あっと”言う間に人気に陰りが出て、これでは食べていけないという相方山下の理由で、続けたいと思っても引退ということになる。

2010年暮れのスパークス解散ライブは、神谷が乗り移ったような成長ぶりを見せ、これまでの“ねた”とは比較にならない感動的なものになっていて、神谷と徳永がいかなる漫才を目指していたかが分かる。
イメージ 6
「思っていることと反対をいう」ネタ漫才には、反対のこととして神谷を山下をそして観客を貶しながら、感謝の気持ちをぶつけ、いかに漫才が好きであったかということが伝わり泣けます。

漫才で結ばれたふたりの友情や苦悩がよく出た演出。菅田さんのすばらしい演技でした!

徳永は「同じ時代に芸人であったことが誇らしい。貧乏なやつが一杯いた。自分が置き去りにされているのを忘れさせてくれた。ひとことも話さずとも、気持ちは繋がりこんな苦しい生活を10年もできた。自分で考えたことを笑ってもらう、先の見えないものに、常識を覆し挑める者だけが漫才師になれる」と振り返る。

徳永は引退後不動産会社に勤めていると、神谷がふらっと訪ねてくる。なんと神谷が豊胸手術で大きなおっぱいになっている。() 借金の返済ができなかった彼には、この道しかなかったと告白する。
徳永は「社会の中にはジェンダーの問題で悩んでいる人がいるから、悪気がなくても世間に認められない」と諭すと神谷はこの言葉を受け入れ「すまんかった」と涙する。

そしてふたりは10年前に会った熱海にやってきて花火を見る。ここで語る神谷の言葉「芸人に定年はない。徳永は面白いことを10年考えてきた。人を笑わせてきた。ボクシングと同じや。お前のような強いパンチをもっているやつはおらん。マンザイは二人以上でなければできん。わしは、ふたりではできんと思っている。周囲に一杯いたから出来た。共同作業や。周りから淘汰され面白いものになっていく。一回でも舞台に立った者が絶対に必要や。そいつらが芸人にしてくれる。だから全員必要や。マンザイやろう!わし“ねた”作る」。

この話、夢に破れた人は救われます! 無駄な人生なんてない!! とても心に残る作品でした。
                                             ****