映画って人生!

宮﨑あおいさんを応援します

第14話「父の願い」

イメージ 1
嘉永6年(1853)冬。篤姫宮崎あおい)は、江戸の母:英姫(余貴美子)にお目通りが叶ったものの、「分家の娘が公方様に嫁ぐなど誰一人認めてはおらぬ」と言われたことを気にかけ鬱々とした日々を送っていました。
幾島は藤野(北原佐和子)に掛け合いますが上手くいきません。幾島(松坂慶子)の話を聞いた篤姫は「いざ出陣じゃ!」と明るい顔で会いに出かけ、対面の間に陣取り、英姫様がお出ましになるのを待ちます。()
イメージ 2
家祥(堺雅人)は名を家定と改めます。阿部中老(草刈正雄)からの征夷大将軍就任の喜びの挨拶に、大あくび。() 13代将軍の誕生です。本寿院(高畑淳子)は阿部中老を呼んで、「御台のこと、薩摩の話はどうなっておるのじゃ」と尋ねます。
 
薩摩では、忠剛(長塚京三)は病床にあり、尚五郎(瑛太)の江戸行きが叶わなかったことに、残念がります。篤姫のことばかりが気になるようです。お幸さん(樋口可南子)が「強い子ですから、自分で道を切り開いて行きます」と慰めるのでした。
イメージ 3
4日目、待ち続けたことが功を奏し、英姫様との対面が叶いました。英姫様に「御台所の一件はそれほど困難なことなのでしょうか?分家の出であるから嫌うのでしょうか?」と問いかけますが「殿に聞くがよい」と立ち去ろうとします。英姫様に追いすがろうとして、御簾を押し倒してしまう。
そこで見た英姫様の顔半分は布で覆われていました。幼少の頃の患った疱瘡で顔に跡が残り、人前には姿を見せなくなったのだということを悟りました。御簾越しで対面をするわけが分かり安堵します。そんな英姫様を「お寂しい方なのでは」と気遣う篤姫でした。
イメージ 4
嘉永7年(1854111日。ペリー艦隊の第一陣が浦賀沖を通過し江戸湾に来航。物は高騰し江戸は大混乱に陥る。これを機に、井伊直弼中村梅雀)が「水戸斉昭(江守徹)の意見(攻撃論)には納得できない」と談判にやってくる。このふたりでは意見がまとまらない。阿部中老は参勤交代の時期を早めるよう島津斉彬高橋英樹)に要請します。
イメージ 5
出立にあたり、斉彬は忠剛を訪ね見舞います。斉彬は「自分に何かあっても、見知らぬ江戸の地で御台所としての修行に励んでいる於一に知らせないで欲しい」という忠剛の願いを受け入れます。西郷(小澤征悦)が斉彬に帯同することになります。嘉永7121日、斉彬が薩摩を出立。33日日米の間に和親条約が締結される。下田と函館が開かれることになり、これを境に日本は開国に突き進むことになる。
 
斉彬は神奈川宿で忠剛が身罷ったという知らせを受ける。数日後斉彬が江戸に到着。英姫様が篤姫について「わたしには分かりかねます。御台所などあり得ぬ」と報告すると「御公儀では勧められている」と返事。水戸公が反対しているを聞いて、「人を傷つけるな!」と言い放ち席を立ちます。 
イメージ 6
篤姫は、斉彬の無事江戸に着いたことへの挨拶を済ませると、「婚儀については間もなく内々に知らされる」と告げられ喜びを露わにします。斉彬、隠し通すことはできなかった、忠剛の死を伝えます。
篤姫は、「なぜ知らされなかったのですか?」と詰め寄ります。「伝えるなと言うたは娘を想う父の気持ち。そしてそれを知りながら伝えたのもまた父の気持ちじゃ」と慰めます。このセリフに泣けます! 良し・・・
 
薩摩では、清猷がお近さんに香を炊かせ忠剛を忍びます。お幸さんが篤姫が忠剛にと残した書物を尚五郎に譲り、ありし日の忠剛を偲びます。
今回は篤姫、涙、涙の最愛の父との別れでした。「西郷どん」とは違って、父忠剛と篤姫の関係がしっかり描かれていましたので、ここで流す篤姫の涙に、泣けます。
                           ***第14回おわり***