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「長江 愛の詩」(2018公開)

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中国を旅した経験なし。中国の映画もほとんど見ないのですが、歌手さだまさしさんが製作し大借金を背負ったという「長江」(1981)を思い出し、今の長江を見てみようというのが鑑賞動機です。( ^)o(^ )
 
監督・脚本:ヤン・チャオさんにより10年をかけて練り上げたシナリオ、撮影監督:リー・ピンビンさんによる映像美により、2016年第66ベルリン国際映画祭で、銀熊賞を獲得した作品です。
 
物語は、
死去した父親の後を継ぎ、小さな貨物船の船長となったガオ・チュン(チン・ハオ)。ある日、ガオ・チュンは機関室で「長江図」と題された一冊の詩集を見つけ、そこには彼の父親が20年前の1989に創作したいくつもの詩が記されていた。
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上海から長江を遡る旅へ出発したガオ・チュンは詩集に導かれるようにして、行く先々の街で出逢うアン・・ルー(シン・ジーレイ)という名の女と再会を繰り返していく。不思議なことに彼女と再会する場所は、すべて「長江図」にその地名が綴られていた。しかし、三峡ダムを境に彼女が現われなくなったことにガオ・チュンは気づくのだった。(HP
 
作品紹介に、
「これは誰の記憶なのか――河を遡り、時が巻き戻る」と「現実と虚構、現在と過去が交錯する深遠なラブ・ストーリー」のふたつが添えられており、これを知っておくと、作品理解は容易です。(知らない方が楽しめます!)
 
映像の美しさと詩に魅せられ、滔々と流れる長江とそこに住む人の歴史、特に三峡ダムの完成(2009)、近代化で失われたものへの悲しみを見ることになります。
シナリオがありますが、これに拘わらずとも、映像を見ていれば自然に伝わってくる感じ。感じる映画だと思います。
 
映像は長江が主体で、周辺の観光地などはほとんど出てきません。しかし、どの映像にも、撮らねばならぬ理由があり、それに詩が添えられ、思索に入ることができます。観光絵葉書とは違います。
気づいたのですが、ネットで長江の映像を探すと、「三峡下り」がほとんどで、この作品の映像は、意外と知られていない長江の映像かもしれませんね!
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物語は、上海河口付近で、亡き父を弔うために、投網で黒い魚を獲るシーンから始まります。「川辺の習慣は、親の死後、息子は必ず黒い魚を捕らえる。それを香呂に入れ、餌は一切与えない。魚が死んだ日、父親の魂は安らぎを得る」という。
 
ガオ・チュンは香呂を船に納め、父の残した「長江図」を読みながら、おんぼろ船「広徳034号」で“鮮魚”を江陰の港で積載し、 宜昌港(三峡の下流に位置する港町)まで運搬する任につきます。上海の河口部の広がりと広徳号と同じようなウンカのごときおんぼろ船、それを係留するバースにおどろきました。()
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出発にあたりガオ・チュンは眼鏡で、船で商売する街娼をのぞき、ひとりの女を目にします。それがアン・ルーでした。
江陰で、荷を積載し、彼女の船を訪ね、寒い船の中で、身体を重ね「愛したい」と伝えます。なぜガオ・チュンはアン・ルーに魅かれたか? 
 
豊かな水量の長江をゆったりと遡行、南京長江大橋が見えてきます。雄大ですね! 船を降り、アン・ルーに会い、水浴を楽しみます。
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8日目。荻港で下り、仏塔を訪ねるとそこでアン・ルーに似た声の女性の声を耳にする。「生きるとはなにか・・」「罪人であっても生きれるか」「奇跡を信じるか・・」と導師と問答している。しかし、アン・ルーの姿を見ることはなかった。
 
10日目、銅陵付近。エンジンを休ませることにして、小舟を使って村を訪ねる。ガオ・チュンはここでアン・ルーと再会する。アン・ルーの料理を手伝うことにして、ちり紙で野菜を手にいれる。() さほどに貧しい生活です。アン・ルーによると、洪水のたびにここを去る人が増え、貧村になったという。日本では見ることがないほどの貧村です。

彼女は「修行のために両親を捨てた」という。ガオ・チュンは「ここに留まりたい」という言葉を残して、船に戻ります。
アン・ルーは、実は結婚していて、妻が娼婦であることに絶望した夫が自殺する。
 
ガオ・チュンが船でここを離れるとき、アン・ルーが「修行を捨てた!一緒になりたい」と河添いに追ってくる。
 
安慶で、砂洲の上を「天はどこで重なり、どこで12に分かれたの。星々がどう繋がるの!」と飛び飛び回る。会えないもどかしさが伝わってきます。すばらしい描写です!膨大な文化を失った嘆きのようです!
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ここで彼女と別れ、以後、船から修行中の彼女を垣間見る。しかし、三峡ダムを境に彼女を見なくなります。

船が遡行するにつれ、彼女の人生も遡行している。自分の母のようでもあり、長江のデホルメのようにも思えます。
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宜昌港で荷を下ろし、アン・ルーに引かれるように三峡に入る。絶景ではあるが、川岸の地表がむき出しになり、下側が白っぽくなって地表がむき出しになっています。惜しいですね! 
 
三峡ダムの通過は、ドックに導かれ、ダムの壁を伝うようにして、上流に吐き出される。
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そぎ落とされた山々、湖底に電柱が見えるという、このダムを造ることで、村を追われ、失った自然や史跡のことに思いが行きます。巫山の奇景を見て、夜、明るく浮かび上がる街を見る。
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28日目。雲陽で張龍廟に登る。町の三分の二が水没したとガイドから聞く。この廟は唯一移築に成功したものだという。階段を登り、ここから長江を望む。
夜、船に戻り「憎くても、臆病でも、信じる。許してやる」「私たちは出会うべくして出会った。金沙江は一新されるだろう」という父の詩を読む。「墓にお参りしましょう」という女性の声に導かれ、さらに遡上。
 
32日目、宜賓に到着。

船を係留し、河底を歩き、雪の平原を歩き、ついに母の墓にたどり着くという物語。墓守の僧侶が言う「もう、これ以上触るな!」という言葉に、監督の思いが隠されているように思います。

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