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第2回「坊ちゃん」

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1960(昭和35)年、テレビ寄席で志ん生が語るのは、日本初のオチンピック選手となった金栗四三中村勘九郎)の知られざる熊本時代。
学校までの往復12キロを走る「いだてん通学」で虚弱体質を克服した四三。軍人に憧れ海軍兵学校を受けるも不合格に。身体を鍛えても無駄と落ち込む四三だったが、幼なじみのスヤ(綾瀬はるか)に励まされ、学友の美山(勝地涼)が東京高等師範を受験することで、校長が加納治五郎(役所広司)と知り、自分も同校進学を決意するというもの。
 
今回もエピソードの多かった!しかし、テンポよくこなしました。さすがです。

四三、孝蔵にとっての運命的な人との出会いが描かれました。 
ハイライトは、「自転車節」を歌い自転車で走る綾瀬さん。その側を走る四三。
綾瀬さんが「熊本自転車節」を歌い、自転車で走るという今回の見せ場。ロケ地もよかった。

四三、孝蔵のキャラクラーが濃くなってきて、これに田口さん、松尾さんが絡んでくると、その存在感で笑えます。() オリンピックはどうなるの、クドカン・ワールド全開です!
タイトルは、「漱石に抱えられ加納の柔道を見た僕」です。(笑)
OPの活字が見えにくい。なんとかして!!

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オリンピック予選会マラソンで優勝した金栗四三は明治241892)年820日、熊本県玉名郡富村に生まれた。西南戦争の激戦地田原坂に近かったということ。西郷どんより戦闘シーンがよかった。()  志ん生とは1年違いの生まれだという。
 
父・信彦(田口トモロオ)は病弱で、6代続いた酒蔵を潰したが、子宝には恵まれ、妻シエ(宮﨑美子)との間に四男三女をもうけた。四三はその下から二番目の子だった。信彦43歳の子で、父に似てひ弱だった。田口さんの衰え方は、「少年メリケンサック」のジミーでした。(笑)
 
四三が生まれた年、加納治五郎は熊本の第五高等学校の校長に就任した。後に小泉出雲、夏目漱石も在籍していたという。
「加納の柔道に抱っこしてもらえば丈夫になる」という祖母マス(大方斐沙子)の言葉で、父と一緒に熊本の五高まで10里の道を歩いて加納の柔道を見に行った。
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途中田原坂で、父から「俺は官軍が奪いに来た先祖の刀を渡さず家を守った。「お前もお国のために戦え」と教わる。
 
父が胃の痛みで苦しむ。このため会場に入れず、四三は加納に抱いてもらえなかった。そこに同じ胃の苦しみをもつ漱石がいて、漱石に抱えられ加納の柔道を見た。(笑) これがタイトル、わけわからん!(爆笑)

家に帰るとマスに「抱っこしてもらったか」と聞かれるが、父は「そうだ」と答えてしまう。「本当に丈夫な体になれるのか」と四三は悩む。
 
翌年、四三は尋常小学校に入学したが、身体が小さく皆について行けない。
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帰ろうとしているところを兄・金次(中村獅童)に捕まり、学校部屋に閉じ込められる。四三(久野倫太郎君)はくやしがり学校に行くことにした。全くの素人だという倫太郎君がしっかり涙を流し、自然な演技でした!
 
そんなときに、叔母のキヨメが出産でシエが規則的に呼吸して産ませるのを見て、「すつす、はつは」と二回づつ吐いて吸えば苦しくないことが分かった。
そして、明治34年高等小学校に進み、いだてん走りで通い、「とつけむにゃ」といわれるようになった。
 
このころの美濃部孝蔵森山未来)は学校にいかず、博打にうつつを抜かし、親父の煙管を質屋で金に換えて、親父に追われ逃げていたと言い、「これをスポーツという」と志ん生が語る。このおち、笑えない!()
 
明治381905)年3月の夜、父は死の床にあり、四三は春野医者(佐戸井けん太)を迎えに走る。その間に、兄・金次が「四三は学校にやる」と話し元気つけていると、父は「四三は加納先生に抱っこされているからとんでもない男になる」という言葉を残して亡くなる。
この時、四三は自分に提灯をわたそうとして転んで怪我した春野の娘スヤを背負って走っていて、父の死に目に遭えなかった。() 四三は父の残した言葉を励みに日夜走った!
 
同年、四三は玉名中学に進学。宿舎生活、休みには20キロを走って実家に帰った。当時、日露戦争の勝利に皆酔っていた。そこで、卒業を控え、四三は学費がいらず卒業すれば将校になれると、海軍兵学校を受験することにした。 
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四三は学力には自信があるとして、五条先生(姜尚中)から教わった毎朝裸で頭から水を被る「冷水浴」で体力強化を図る。何杯被っていいのかわからず15杯も被って風邪を引いたという。() 姜尚中さんは熊本出身でした。  
勘九郎さんの裸体がすばらしい、「銀魂」の近藤勇でした。(笑)
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四三が兵学校を目指し猛勉強。同室の美川は漱石の本を読み、漱石に傾倒していた。
 
しかし、海軍兵学校の身体検査は厳しいもので、目の検査で不合格となった。これにがっくりきた四三は橋の上から川を眺めているとスヤが自転車で
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「あいたかばってん 会われんたい たった一日でよかばってん あの山一丁越すとしゃが・・」と大きな声で「熊本自転車節」を歌いながら通りかかる。(爆笑)
 
綾瀬さんの歌がよかった! こういう役は綾瀬さんにピッタリです。(爆笑)
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スヤが四三を見つけ「海軍兵学校どうだった?」と聞く。駄目だったとがっかりしていると「それがいい。将来の奥さんは喜ぶ」と言い、「身体が丈夫だから、それをお国のために使うか、自分のために使うかは四三さんが決めればいい」という。
四三は身体は自分のために使うと決め、自転車をこぐスヤの横を、スヤの歌に会わせて「ちりりんちりりんと出てくるは 自転車乗りの時間借り・・」と歌いながら走った。() スヤは漱石の「坊ちゃん」に出てくるマドンナでした。当時自転車は高価で買えず、時間え借りていたというもの。
 
その頃、東京の孝蔵(森山未来)は芸者遊びの勘定をごまかし逃げる途中で小梅(橋本愛)に会い、彼女の追手に当てがって寄席に逃げ込む。
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そこで当時名人とうたわれる橘家円喬(松尾スズキ)に出会う。「付き馬」という話を聞いて弟子入りを決意。「付け馬」から逃げて、生涯の師匠に会えたのでスポーツも悪くないというおち、笑えない。
 
一方、海軍兵学校への道を絶たれた四三は、友人・美川秀信勝地涼)から東京高師を受験すると聞かされる。美川が読む案内書に、加納治五郎をいう名を見つけた。
凄いスピードですね、来週は大学生だ!
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資料 20190115
<いだてん>19年大河、第2回視聴率は12.0%で3.5ポイントダウン 金栗四三の知られざる少年時代