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第21回「桜の園」

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1920年、アントワープオリンピックでメダルを逃した四三(中村勘九郎)は失意の内にヨーロッパを旅し、第一次世界大戦の傷跡が生々しいベルリンを訪れていた。そこで四三が目にしたの戦災に負けずにたくましくスポーツを楽しむ女性たちだった。その姿に大いに刺激を受ける四三。帰国するとスヤ(綾瀬はるか)から引退して熊本に帰るよう頼まれるが、その胸には日本に女子スポーツを根付かせるという固い決意が生まれていた。
感想:
女子がスポーツにはしりだす。面白かったですね!
桜の園、四三は竹早女学校の教員となり、体育を教えはじめる。誰かがやると皆が始める。() 女性がこんなにたくさん出演だと、華やかになり、視聴率も上がるかもしれませんね。()
 
ベルリンで見た女子スポーツに心打たれた四三はこれをやることに決めて帰国。スヤを優しく抱きしめることでスヤの同意を得た。() スヤはしっかり不平を吐き出し、四三に従いました。母・幾江が出てこなかったですが、これを見たかったですね()
 
増野(柄本佑)とシマ(杉咲花)の結婚。スポーツをやりたいと結婚を断るシマを説得する増野の言葉、こういう役の柄本さんをはじめてみましたが、恰好よかった!
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大正9年、四三はアントワープオリンピックでメダルが取れす、ひとりでヨーロッパを放浪し、ベルリンにたどりついていた。そこで槍投げをしている女子をみてびっくり。日本人でオリンピックで16位になったと話せば褒められ、ひとりの女性が「夫は選手だったが戦死して参加できなかった。その腹いせに槍を投げている」という。() このたくましさに触れた四三は、次は女子のスポーツと心に決めて帰国した。
 
大正91920)年、シマの働くミルクホール。四三はベルリンで観た女子のスポーツについて、「ドイツは立ち上がる。女子の力で立ち上がる。私は女子体育をやる。次のオリンピックには女子を放り込む・・・」と話しているとひとりの男がシマのところに。「お見合いした相手です」と紹介する。この男が後にシマの夫になる増野でした。
 
播磨屋に戻ると、スヤがうれしそうに待っていた。長男和明が顔を忘れていて泣き出す。() 
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30歳にもなったので引退。オリンピックで金メダルを取れず悪かった」と謝ると「無事に帰ってきたらそれで充分。熊本に帰りましょう」という。
スヤにベルリンで見た女子スポーツの状況を聞かせ、治五郎から勧められた竹原女子校で教職につくことを話すと、
「熊本ではいけんね。4年に一回と言われて、それから一緒に暮らせると生きてきて、これから女子スポーツ! 池部の人になってくれんですか。熊本に帰るのが嫌で駅伝をやって・・・」、正明が泣き出す。「わたし明日・・」と言いかけると、四三が「お母さんには自分が話す。」とスヤを抱きしめ「東京で一緒に暮らそう」と説得した。これ、ストックホルムオリンピックで負けて帰ってきて、熊本に帰らなかったときのセリフと同じですね。()
 
ここからバブストーリパートと落語で語られる。
 
孝蔵(森山未来)はオリンピックに参加した内田(葵楊)によって泳ぎ方がクロールに急速に変わっていく様を見ていた。政治(原勇弥)が「何がクロールか」と飛び込むすきに財布を失敬して東京に戻った。()
屋台で飲んでると、小春(橋本愛)と清さん(峯田和伸)がこの店を持って夫婦になったという。孝蔵はなんで自分でなかったかと悔しがる。そこに失恋した美川I(勝地諒)が恨めしそうにふたりを追ってきた。() 孝蔵はこれで心機一転、三遊亭園菊としてまじめに高座にあがることにした。そして、なんと見合い写真(夏帆)が・・()
 
大正104月、立派な母親になるための教育を目指す東京府立第2高等女学校通称・武早女学校に赴任した。
出勤すると、シマもここで教員だという。
1日目、四三が女の園に気後れしたが、いつもの四三を取り戻し、地理と歴史の先生だが、体育をやると宣言。「日本の女子体育は遅れて残念。強健な肉体こそが最高の美。今日から鍛える、鍛えたいものだけ来てほしい」と募ったが、グランドで待っていても誰も来ない。
 
2日目。西洋と日本人の体形を説明し、体育の必要性を説くが効果なし。
 
シマが家に来て「女子をバカにしてる」と抗議にくる。スヤが「女子には押し付けがましいのはむかん!」というので、テニスの先生に女子講義のこつを聞くことにした。
テニスの先生を訪ねると。なんと永井(杉本哲太)先生だった。() こつを聞きに行くと「服装、香水だよ」と教わる。
早速香水をつけて、募集活動を始めるが誰も来ない。悪評が出始め、忠告に村田富(黒島結菜)がやってくる。
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「色が黒くなり嫁の口がなくなる。他の先生も親も体育など期待してない」と抗議する。
「とにかく一遍投げてくれ。このままでは皆が見ているから教室に帰れん!」と投げる子を募り、梶原(北香那)に投げさせた。ひとりがやると皆がやりたがる。()
そして、二度目の挑戦者・村田に「嫁に行かん!で投げてみろ」というと、「くそったれ!」と投げて大記録。()
そしてこれが契機でどんどんスポーツが盛んになって行った。
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播磨屋で竹早のTを付けたユニフォームを作った。「こんなの来たら嫁に行けない」と着ないものがいるが、シマが着て走る。
 
状況を治五郎に報告すると、明治神宮競技場のモデルが出来たという。「女子がいると華やかになるな」と治五郎。
 
シマは「スポーツを続けたい。女子陸上はオリンピックの種目になっていない。それでもいい。私は何事をも成し遂げていなにのだから」と見合いを断ると、
「結婚して出来ないのですか。やったらいい、子供をつれて応援にいく。続けてください、仕事と走ること」という。
 
増野とシマの結婚仲人は四三とスヤ。スヤは増野に「マラソン選手は逃げ足が速いよ」と注意する。()
しして「未来を意識して」という写真屋さん(山下敦弘)の合図で、・・。
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