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第9回「さらばシベリア鉄道」

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あらすじ:
四三(中村勘九郎)と弥彦(生田斗真)は、ついに新橋駅を出てストックホルムに向けて旅立つ。ウラジオストクやハルピンを経由してのシベリア鉄道17日間の旅。不手際で治五郎(役所広司)の渡航が遅れる中、監督の大森兵蔵竹野内豊)と安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)のハネムーンのような態度、初めて触れる外国人の横柄さに、四三は不安を募らす。一方、孝蔵(森山未来)は、師匠・円喬(松尾スズキ)に「朝太」という名を授かり、噺家デビューに歩みだす!
感想:
列車で東京を発ち、敦賀で船に乗りロシアに渡り、シベリア鉄道でロシアの首都セントピータースバークに。ここから船でストックホルムに至るという17日間の長旅。
シベリア鉄道の旅を列車や車窓の風景を再現して見せてくれ楽しめました。
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食事には経済面で自炊をしなければならなかったという、このような環境のなかでオリンピックに参加した先人の苦労を偲ぶことができました。また、当時のハルピンの風景や政治事情の描写には、なんとも言えない驚きがありました。

今回のハイライトは大森兵蔵がオリンピック監督として参加するに至った経緯です。渡米し西欧人の肉体の強靭さに驚き、日本国民の体格体位向上に役立つ技術を習得するという愛国的行動には頭が下がります。これまで知りませんでした。兵蔵は無理が祟っての肺病。この努力に報いるよう、妻・安仁子が夫・兵蔵のオリンピック参加を嘉納に切々と訴える姿、夫婦愛に涙でした。いだてん紀行で、安仁子の描いた絵による詳しいふたりの恋愛話に驚きました。

四三と弥彦が、何事もすることのない毎日、狭い部屋でいがみ合うこともあったが、シベリア鉄道の最後の日にはわだかまりも消え食堂車で祝杯、オリンピックでの健闘を誓い、長い旅の果てに白夜のオリンピックスタジアムに立った姿には感動しました。

孝蔵は落語を背中で聞き、足で確かめ、ついに師匠・円喬から「朝太」という名を授かり、噺家デビューに歩み出しました。何かを成すには、努力、努力と教えられました。このことは四三につながるところです。

オリンピックをテーマに、当時の世界を知るという、これまでにない大河になってきました! オリンピックに参加するということはこう言うことなのかなと、視聴率なんぞにとらわれず頑張って欲しいです。

今回から「モテキ」の大根仁さんが演出に関わってきます。未来さんとともに楽しみにしたいと思います。
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治五郎が列車に乗っていないと知った四三は動揺し、大森に聞くと「国家の役人が長期海外出張するには手続きが面倒だからだ」という。
手続きが済み次第、治五郎は追いかけてくると、敦賀までは可児が同行することになった。治五郎に文句を言われると可児は列車に逃げ込み敦賀まで逃げた?()
 
大きな駅に停車するたびに大勢の人々が詰めかけ、窓から贈り物を渡す者もいた。四三は初めてサインをした。
夜、興奮で眠れない四三は、誰も経験したことのない、暗中模索旅の記録ということで、「盲目旅行~国際オリンピック競技参加之記」として日本に初めてのオリンピック参加記録を書くことにした。しかし、列車の中の記事は読めない!

翌朝、敦賀に到着したが、治五郎は現れなかった。ここから可児に見送られウラジオストクへと向かった。
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2日かけてウラジオストクに着き、シベリア鉄道に乗る段になっても治五郎は現れなかった。四三は不安だった。
 
シベリア鉄道ニ等寝台車の旅が始まる。ドイツ人と同室になった。
食事をどうするかで揉め、倹約のため大森夫妻が持ちこんだものに四三たちが道中で応援してくれる人々からもらったものを加え自炊することにした。
ところが、大森がドイツ人乗客の誘いに乗り、夕食は食堂車でとることになった。しかし、あまりの高さに驚く。さらに大森がドイツ人に奢ってしまう。四三はドイツ人の体格の立派さに、こういうやつと戦いのか不安になる。夜は大森の咳とドイツ人のいびきに悩まされた。()
 
熊本では、スヤ(綾瀬はるか)が朝早く起きて、母幾江(大竹しのぶ)の洗面を手助けしていた。()
 
朝起きると、安仁子がみそ汁を作っていて、早く起きろというので、ふんどし姿で寝台をおり大森に「裸はいかん!」叱られた。勘九郎さんの毎回の裸のシーン、もう止めたがよい。
弥彦は洗面所を30分間も独占使用で迷惑をかけている。安仁子の作るみそ汁がまずい。しかし、夫・兵蔵がうまいと食べている。
 
520日。ハルピンに到着。ここは3年前に初代総理大臣・伊藤博文(浜野謙太)が朝鮮人に暗殺された政情不安定な地。
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四三と弥彦はいったん列車を降り、ハルピンの街を見物しようとしたが、ロシア兵にパスポートの提示を求められ、外国に来たということを実感した。
列車に戻ると、ロシア兵にびくついた弥彦が美人乗客にちやほやされて喜んでいると四三がむくれた。()
ハルピンの街の再現がすばらしい。ロシア兵の出現に驚きました。( ^)o(^ )
 
シベリア鉄道バイカル湖に沿って進み、乗車して5日目にヨーロッパ領に入った。
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このことを兄・実次に絵葉書を送った。実次はこれを池部家にもっていってスヤに見せた。スヤが喜んだ!金を工面したもらったことへの感謝でした。()
四三と弥彦。列車内で体操したら、もうやることがない。うたりは睨み合い口論をはじめる。
 
治五郎は日本にいて渡航申請が出ないことに怒り狂っていた。()
 
このころの孝蔵。いつものように車を引き、円喬を寄席まで運んでいて、弟子だか車屋だか分からない関係になっていた。
そんなある日、円喬が車を降りると孝蔵に5厘の給金を渡し、高座名「三遊亭朝太」を与え、「明日から手ぶらで家に来い」と声を掛けた。小梅(橋本愛)と静さん(峯田和伸)に伝える孝蔵。喜びで酒飲んで“踊るように走る”孝蔵の姿をスローモーで見せてくれました!
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出発から10日が過ぎた526日、四三は大森が妻・安仁子がベタベタとくっつきながらみそ汁を作っているのを目にして、「西洋風のふるまいは俺には合わない。西洋人は嫌いだ」と可児の手紙に書いた。() 
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四三は大森になぜ監督を引き受けたのかを聞くと、そこで語られる大森の人生。
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経営を学ぶために渡米したが西欧人の肉体の強靭さに驚き、日本国民の体格体位向上に努めようとYMCAのトレーニングスクールに通った。バステットボールもバレーボールも大森が持ち帰ったという。
安仁子は画家をしていて、大森が生活費稼ぎに安仁子のギャラリーのハウスボーイとなったことで知り合ったという。大森は何度も咳をした。
 
弥彦は、咳き込む大森を案じて、四三に相談した。
 
2か月前、治五郎が大森に監督を任せたいと打診したあと、夫妻が治五郎を訪ね、兵蔵が肺を患っていることを打ち明けたうえで、安仁子が「この機を逃せばオリンピックを観ることは叶わない。選手ふたりには決して迷惑をかけない」と兵蔵のストックホルム行を懇願した。
治五郎は兵衛の著「オリンピック式陸上運動競技法」を読み、その熱意に動かされ、大森に監督を任せ、安仁子を同行させることにしたのだった。
 
528日、大森の体調は回復せず、安仁子は自炊の中止を申し出た。四三は「監督もこぎゃん、嘉納先生もおらん。三島さんは女の尻を追っかけている。日本スポーツ黎明の鐘になれるのか。これでオリンピックに参加出来るんですか!」と弥彦に不満をぶつけた。
弥彦は四三を食堂車に誘い、予算を気にせず食べることにする。二人は、ワインを飲みお互いの健闘を誓い合った。
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東京を立って17日目の62日。船はストックホルムに到着。四三たちを日本大使館の内田公使が出迎え、ホテルに案内した。
 
ホテルに着いたのは夜だったが、白夜で昼間のように明るかった。
四三は弥彦とともにオリンピックスタジアムに向かった。巨大なスタジアムに二人は圧倒されたが、広大なトラックを足袋で走って、「必ずあのポールに日章旗を掲げる」と四三の胸に闘志がみなぎった。
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資料 20190304
NHK大河「いだてん」第9話9・7%4話連続1桁
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