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第13回「復活」

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あらすじ:
意識がないままホテルに運ばれていた四三(中村勘九郎)は、日射病だった。いつも世話してくれていたダニエルに案内され、自分がコースからはずれてベトレー家に助けられた行程を改めてたどる四三。そして、マラソンを共に戦ったポルトガルのラザロ選手も日射病で死去した事実を弥彦(生田斗真)に聞かされる。命を賭けて監督を全うした大森兵衛(竹野内豊)や安仁子(シャーロット・ケイト)の「頑張れ」の想いを胸に、四三は再び走り出す。同じように、孝蔵(森山未来)は緊張と戦いながら、落語「富久」を演じ、完走はできないまでも目を見張る才を見せる。
感想:
日本の初参加オリンピックの総括。小さなチームでしたが、苦い、大きな教訓を得たオリンピックでした。スポーツとはなんぞや、競技を通じて世界が繋がるということ。ラザロの死に際しての各国選手たちの友情に共感を覚えました。このことが四三が再び走り始める大きなモチベイションになりました。
 
四三が行方不明になったのは熱射病で意識不明になりコースを間違えたこと。幸い土地のペトレ家の配慮で命を落とすことはなかった。のちの四三の功績を想うとき救助していただいた家の皆さんにお礼を申し上げたいですね。ペトレ家のお孫さんが出演だったようです。
 
四三や弥彦に責任を感じ悔やむ大森に、治五郎が贈った「陸上運動競技法というすばらしい遺産を残した」と労わる言葉には泣けます。これからの若い人たちのために、日本人が劣っているなら、10年、20年後に追いつけばよい」という大森の高い所からの見方がすばらしい。大森が遺した功績は高く評価されるべきでしょう。
四三、弥彦と大森の別れ、大森の指パッチンとグーサインには泣かされました。
 
孝蔵が高座に上がり落語「富久」を語り、途中で眠くなって下りたという話。今回のドラマでもっとも感動しました! 森山さんが語る落語「富久」がすばらしかった!
孝蔵は師匠円喬(松尾スズキ)の教えの通り、清さん(峯田和伸)が準備してくれた着物を着ないでいつものボロボロの着物を着て、さらに酔っ払って久蔵になりきり、車を引く仕草で、鍛えぬいた声質と間で語り、眠くなって王座を降りた演技。円喬は“あとは鞍数”と小言など言わない。先を考えた指導で、細かいことは言わない、治五郎らに通じるものがあります。指導者が小さな料簡では人は育たない。
 
四三は目覚めて「負けは負け」と泣いたが、ラザロの墓標でラザロの志を知り各国選手と4年後に会うことを約束したこと、嘉納、大森の暖かい配慮に助けられたことで、「ストックホルムにて責任を全うすることあたはざりし口惜しさ。死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、粉骨砕身してマラソンの技を磨き」とベルリンを目指し走り始める(復活)という、この根性は学びたいです。
 
ラザロ(エドワード・プレタ)の死について、墓碑を残し、世界がその死を悼んだことに目が熱くなります。四三も彼の死を無駄にしないことを誓った。
ポルトガル選手団がマラソンの継続を訴えたのも、オリンピックの意義という大きな視点から下したもので実にさわやか、こうして世界の国が繋がるというのがすばらしい。
この作品では当初から国を意識するあまりに選手が死に追い込まれることを意識して描かれており、2020東京オリンピックを目前にして適切な配慮だと思います。
 
オリンピックというのは競技選手だけでなく、地域が、市民が世界に繋がってくるんですね! この時期に、大河にこのテーマを選んだのは適切でした!
 
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レースの記憶のない四三は、ダニエル(エドウイン・エンドレ)と一緒にマラソンコースを歩くことにした。すると、ラザロとのデッドヒートを思い出し、森に入り道が二股に別れていて、子供が指し示す左に進んでラザロがno noと声を掛けてくれたことを思い出した。
四三が行方不明になった真相は、
左に進んで四三は森の中を彷徨い歩いた。その先の屋敷で住人:ペトレ家の人たちが庭で食事を楽しんでいた。四三に続いて56人のランナーも道を間違えも迷い込んだが、ペトレ家の人たちがコースを間違えていることを伝え皆は引き返した。しかし、四三は木陰にしゃがみ込んで動けなかった。
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ペトレ家の人々は四三に飲み物やパンを与え、家で休むように勧めたが四三がこれを断った。それで、一家は四三に水と与え去っていった。
その後、内田(井上肇)とダニエルに見つけられて、四三はやっと状況が分かってきた。帰りの列車のなかで四三は無念で泣いた。
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試合の翌日、部屋で四三が「余の一生の重大なる記念すべき日なりしに、日本人の体力の無さを示し、技の未熟を示すものなり」と手紙を書いているところに、弥彦が新聞をもって来て「ラザロが亡くなった。日射病により髄膜炎だ。ストックホルムの悲劇だ」という。四三は「あの別れ道で左に行っていたら俺も・・」と言い出すと「間違えてよかった。死んだら2度と走れん」と諫める。取材のとき、ラザロが勝つか死かと応答していた姿を思い出した四三は「彼も必死だった。惜しい男を亡くした」と悔しがった。
 
治五郎がベットで休んでいる大森の部屋を訪ね「明日、IOC総会だ、マラソンは廃止になるかもしれん」と話すと「生きているうちにオリンピックを見れてよかった」と感謝し、「監督としての役目を果たせず、四三と弥彦に魅惑を掛けた」と自分を責める。
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治五郎は「しっかりしろ!うじうじするな!側にいる者の身になれ!」と激励し、「君は立派な監督だった。一緒に走ったり、大声で気合を入れる代わりに、すばらしい遺産を残してくれた。この論文は、足の出し方、スタートのきり方、練習の仕方など、これがスポーツの未来を作る」と労をねぎらった。大森は「オリンピックは若者の大会。日本の若者のために、日本人が劣っているなら、10年、20年後に追いつけばよい」と将来への期待を示した。
 
ラソン競技の成果は日本の新聞でも報じられた。東京高師の面々や金栗家、池部家の人々がその記事を読んでいるところに、2週間前に四三がオリンピックへの意気込みと皆への感謝を綴った手紙が届いた。池部家ではスヤが「あの人はやります。必ずやりとげます!」と声を上げた。
 
播磨屋では四三から送られてきた開会式の写真を飾られ、小僧の勝蔵(阿久津慶人)がこれを見ていた。親父がいなくなって寂しそうですね!
 
清さんは屋台でワニラを食ってる孝蔵に「芸は知らないが、なりぐらいはしっかりしてもらいたい」と播磨屋が作ってくれた舞台のための着物を渡す。孝蔵「持つべきは友」と言うが・・・。
 
清さんが寄席に行くと小梅(橋本愛)と美川(勝地諒)も来ていて、ふたりは仲睦ましくしていた。小梅は所帯を持ちたいらしい。
 
最初に朝太が舞台に上がる予定だが出て来ない。師匠の円喬が「飲んだのか?」と問うと「飲んでいない」と答え、「着物は?」と問えば「曲げた」という。演題は、「富久」、「富久だと!」と円喬が驚く。
予定より遅れて高座に上がった孝蔵の姿を見て、清さんが驚いた。なんと、孝蔵はヨレヨレの着物姿だった。
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孝蔵が「浅草阿部川町に幇間の久蔵ってのがおりまして・・」と「富久」を語り始めるとすぐに、孝蔵は黙ってしまう。あがって次を忘れたらしい。
「なんだったけ、・・真面目だが、酒癖が悪いのが玉に傷・・」。客席から「お前じゃないか」と声が飛ぶ。() 客席からの声で少し落ち着きが出て、円喬の「耳で覚えてもだめ。話は脚で覚えるんだ!」を思い出した。(それで孝蔵は飲んで高座に上がったのか)
円喬の言葉に励まされるように、車を引く仕草で一気に喋り出す。「旦那しくじったのかい」「ええまあしくじりで・・」、火事が起きた日本橋の屋敷に久蔵が駆けつける場面となり「火事だ、火事だ!日本橋で火事だ!」とここまで喋って倒れ込み、頭を上げて「すいません。頭が痛いんで、今日はここまで」と噺を止めて高座を降りた。このシーン、森山さんがまるで車屋・久蔵になりきってしゃべり続けるという、圧巻の落語「富久」でした!! たけしさんは下手だね!()
 
客からは「え~え~」の声が上がったが、円喬からは何も言われなかった。
おそらく円喬は「声質、間の取り方、基本がしっかりできている。度胸がある。あとは、鞍数」と思ったのでしょう。人に物を教えるときの心構え。
 
四三は改めてマラソンコースを走り直してみた。すると、ラザロが倒れた場所に写真や肖像が飾られ各国の選手たちの花を手向け、「4年後に会おう」と誓った。四三も花を摘んで備え手を合わせた。
 
この日はIOCの総会が開かれ、クーベルタン(ニコラ・ルンブレラス)からラザロの死を悼み「義援金を募り遺族に送りたい」とスピーチした。
これに、ポルトガル選手団代表が「ラザロは有望な選手で国民のために走り続けた。ここで彼は人生を最大限生きました。スポーツ発展のためにとくにマラソンのために。妻は妊娠4か月でした。どうかラザロを忘れないで欲しい。4年後もマラソンをやって欲しい」と訴えた。クーベルタンはが「4年後(ベルリンオリンピック)もやる!」と宣言し、大きな拍手が起こった。
治五郎はクーベルタンに「いずれ極東でオリンピックをやって欲しい」と申し込むと「遠すぎる」と返事。治五郎は柔道技をかけて脅しておいた。()
 
四三は「人笑はば笑へ、ストックホルムにて責任を全うすることあたはざりし口惜しさ。死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん」と練習を開始した。
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四三と弥彦はオリンピック会場を訪れ、入場式での歓声を思い出しながら、四三は「またオリンピックに戻ってくる」と誓う。
治五郎は閉会式を待たずにストックホルムを去ることになった。しかし、大森は治療のために残った。
 
四三と弥彦が別れの挨拶に大森の部屋を訪ねると、安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)が目に涙を浮べ、ふたりが部屋に入ることを拒んだ。
ドアの外から四三と弥彦が室内を覗くと、ベッドのなかの大森が指パッチンで合図して、グーのサインを送ってきた。ここは泣けました! 
大森は日本の血を再び踏むことなく、米国で翌年亡くなったという。37歳の短い人生だった。
帰りかける四三と弥彦に安仁子が「大和魂!忘れないで」と窓から手を振って送ってくれた。
四三はスウエーデンでは、“Missinng Japanese”と言われている。四三は、ペトレ家を訪ね、お礼を述べた。
 
ストックホルムを発ち日、乗船前に四三たちは弥彦のカメラで記念写真を撮った。弥彦がカメラを四三に「君は世界を渡り歩く人だ」とプレゼントした。
 
四三は世話になったダニエルに礼を言って船に乗り込んだ。48日にわたるストックホルムに別れを告げ、いざベルリンへと帰国の途に着いた。
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記事1 20190401

1912年の #ストックホルムオリンピックで、庭に迷い込んだ #金栗四三 さんを助けたペトレ家の人々。ドラマのこのシーン、なんと本物のペトレ家のご子孫の皆さんに演じていただきました。時代を超えた不思議なご縁に #中村勘九郎 さんも感動!

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