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第19回「箱根駅伝」

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フランスのクーベルタンから治五郎(役所広司)に届いた手紙には、ストックホルムから8年ぶりにアントワープオリンピックが開催されるニュースが書かれていた。新しい「箱根駅伝」の構想に力を注ぐ四三(中村勘九郎)だったが、やはりオリンピック開催こそ待ち臨んだもの。通し熊本で離れて子育てに励むスヤ(綾瀬はるか)を訪ね、次こそ金メダルをとって引退し、家族と暮らす約束をする。しかし実は、前回死人を出したマラソンは正式種目に含まれていなかった。「箱根駅伝」がオリンピック代表選手の選考を兼ねて開催され、大盛り上がりを見せるなか、治五郎はクーベルタンにマラソンの復活を訴える。
感想:
アメリカ横断を考えたという、このバカぶりに感動しました。スヤさんが惚れたのも分かります。
箱根駅伝」の起源・エピソードが、映像としてもすばらしく、感動的に描かれました。
午後1時にスタートで夜松明の灯で走った。雨を避けるため、町の人たちが傘のトンネルを作った。早朝の走路の雪かき、感度的なはなしを知りびっくりでした。マラソンは人と人を結ぶ力をもっていますね。これはオリンピックでも証明されました。マラソンには他の種目にないすばらしいものがありますね!すばらしいレースを考え出してくれた金栗さんに感謝したいですね!
 
志ん生一門のリレー落語「箱根駅伝」が噺家の話しっぷりと駅伝走者の走りっぷりをダブらせ第1回箱根駅伝が描かれました。森山未来さんが、美津子(小泉今日子)の弟、次の弟ということで十代目金原亭馬生と古今亭朝太(三代目古今亭志ん朝)を演じ分け、すばらしい話しっぷりを見せてくれました!
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日光~東京間を走り終えた四三は「日本に走る道はない」という言葉を残し、次の目標として総距離4000kmのアメリカ横断を思いつき、野口(永山絢斗)と美川(勝地諒)に意見を求めていると、播磨屋に足袋運動靴を買いにきていた明治大学の沢田が「予選会を開いてはどうか?」という。
四三は予選会を開こうと考えているところに辛作(三宅弘城)が窓の外を見ていて「箱根か!」という。四三は見えるのは富士山だか、これには金がかかりそうだと箱根に決めた。
 
その頃、志ん生一家では、正月の出し物なににするかと考え、演者を繋ぐ駅伝落語をやることにしたが、五りん(神木隆之介)の出し物がよくない。こんなんじゃ出来ないとTOPの五りんが責められ泣き出す。「ならてめえで作れ!」と志ん生箱根駅伝落語」の制作を命じた。
 
四三は野口とともに「箱根駅伝」構想をまとめ、体協の理事たちに報告。「金栗が自分でスポンサーを見つけてきた」とすんなり賛成、実施が決まった。
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治五郎から「オリンピックが解される。ベルギー・ラトウール」と聞かされる。四三はこれに歓喜し、「あきらめんでよかった」という「正月返上で頑張れや!」と声を掛けられた。正月返上と考えると、毎日の水浴の水に、「帰れ!」というスヤや兄実次、幾江さんらの顔は浮かんで生きた心地がしない。が、駅伝が終わるまで熊本に帰れないと手紙を出した。
しかし、オリンピック参加には金がかかる。やはりここは池部家に無心する以外にないと四三は・・・。
 
正月にスヤが四三の正月は帰らないという手紙を読んでいると、そこに四三が現れ、スヤの顔は明るくなった。四三は生まれた正明との初対面だった。
 
池部家で年始の祝いが開かれた。幾江さんい促され四三が「旧年中は大変お世話になりました。第一子も生まれ、その上、八年ぶりにオリンピック開催がきまりました」と挨拶。兄・実次(中村獅童)とスヤがこの挨拶を喜ぶ。幾江さんはぶっちょうずら()
実次が他人行儀に「四三さん」と酌をすれば、幾江(大竹しのぶ)が「それでよかたい。玉名一の庄屋の若旦那だけん!」と大声を上げ「玉名にゃいつ戻られますか?」とわざわざ大きな声で聞いてくる。()
実次が「オリンピックが立派にやり遂げたら帰ってきます」と弟に代わり返事した。()
 
この頃、体協で理事会が開かれ、オリンピックにマラソンの種目が含まれていないことが分かった。
憤慨する治五郎にトクヨ(寺島しのぶ)が激戦地ベルギー市街地の写真を見せ「ここをマラソンランナーが走り、沿道の観客が応援する光景を想像できますか?」と言い張る。
治五郎が「クーベルタンに訴える」と言い、永井(杉本哲太)が「見直すのが正論だ」と主張した。
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その晩、四三がスヤに「苦労ばかりかけてすまん。今度のオリンピックに勝って引退するつもりだ。その後は熊本で皆と一緒に過ごす」と頭を下げた。スヤは「勝てない場合は・・」と言いかけて、言葉を引っ込め「四三さんは勝ちます。よう辛抱されましたね」と四三を励ました。四三は「8年もかかった。ようやくお国のために戦うときがきた」と。
 
東京に戻ると四三は、東京高師の茂木、明治の沢田ら5人の有力選手を連れて体協本部を訪ね「マラソンの枠を6人に増やして欲しい」と訴えた。この6人なら金銀銅が取れるのではないかという思いだった。
 
ここからは、志ん生一門のリレー落語「箱根駅伝」が噺家の話しっぷりと駅伝走者の走りっぷりをダブらせ第1回箱根駅伝が描かれます。森山未来さんが、美津子(小泉今日子)の弟、次の弟ということで十代目金原亭馬生と古今亭朝太(三代目古今亭志ん朝)を演じ分け、すばらしい話しっぷりを見せてくれました!
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214日、有楽町の報知新聞社本部前に箱根駅伝の第一走者たちがそろった。早稲田、慶応、明治、東京高師の4校。往路5区間、箱根で折り返し復路5区間の全10区間、往復217kmを2日で走るというもの。選手たちはみな播磨屋のゴム底の足袋を履いていた。
スタートが学業があるからと、午後1時のスタート。しんばん長の四三が号砲をならし、選手がはしり出した。四三は車に乗り込んで伴走し、声援を送った。
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しかし、スタート地点に治五郎の姿はなかった。体協本部で理事たちとオリンピックをいかに取り扱うかを協議していた。夜になり、松明の灯で走った。こういうことを知らなかった!
初日、往路のレース終了時点の順位は、午後8時に首位で明治が到着、2位東京高師、3位早稲田、4位慶応の順位だった。
 
一夜明けると、一面の銀世界が広がっていた。積雪6cm、気温マイナス4度、常識で考えればレース中止だ。そんな中、青年団や地元学生、湯治客まで総出で雪かきをしてくれた。「もうやるしかない」と四三は決行をきめた。そして四三は車を降りて伴走し、選手をげきれいし続けた。平塚では、雨を避けるよう、島民たちが雨傘で傘トンネルを作ってくれた。
 
体協の理事たちも我慢できずゴール地点に駆けつけた。東京高師のアンカー茂木と明治の西岡がデッドヒートを繰り広げ、明治の西岡が転倒して茂木が追い抜いてゴール、続いて明治の西岡が足を引きずりながらゴールした。
これを見た岸(岩松了)が治五郎に「マラソンはやるべきだ。こんな感動的なレースなら絶対やるべきだ」と言い、「心配するな金栗、私が必ず君をアントワープに行かせてやる」と治五郎。
 
五りんが舞台で立ち往生。ここまで原稿ができていなかった。志ん生が舞台に上がり「マラソンのないオリンピックは、黒豆のないおせちのようなもの」と“おち”をつけた。()
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記事 20190520
<いだてん>第19回「箱根駅伝」 視聴率8.7%で1桁台続く