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第22回「ヴィーナスの誕生」

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東京府立第二高等女学校では、四三(中村勘九郎)の熱血指導によって女学生たちがスポーツに打ち込んでいた。教え子の富江黒島結菜)たちは全国的なスポーツアイドルとなるが、その前に日本人離れした見事な体格の人見絹江(菅原小春)が立ちはだかる。四三の四三を手伝うシマ(杉咲花)も大きな悩みを抱え、それをスヤ(綾瀬はるか)に打ち明ける。一方、真打昇進を果たしてもすさんだ生活を送る孝蔵(森山未来)には見合い話が舞い込む。
感想:
1回だけ投げてみて!」で始まった槍投げ。投げた爽快さにはまったシャンな富江とそのメンバー、天狗倶楽部の再来。テニスウエアーでアイドルとなり、これが人見絹江を目覚めさせ、トクヨによる女子体育大学の建設で女子スポーツの時代へと動き始める。四三の女子スポーツへの情熱が人を惹きつける。こんな歴史は知りませんでした。人見絹江役の菅原小春さん、雰囲気がありますね!
 
富江が裸足で走り素脚を見せたことでの大騒ぎ。四三の反論は愉快でした。今では考えられない女性への偏見、これに対する女性スポーツ選手の果たした役割は見落とせない!
 
孝蔵の飲んで打って買うという破廉恥な生活も、四三と同じで、女房のことなど眼中になく、ひたすら落語だけを考え生きている。だからこそ、人が見つけられないネタに出会い人を惹きつける。ふたりとも、あるレベルを超えた人。()
しかし、これを超えた人がスヤさんと“おりん”(夏帆)。夏帆さんは池波志乃さんに似ていますね。とてもいいキャステイング。夏帆さんは大好きな俳優さん、期待しています。スヤさんには母・幾江!の老後を見るシーンを入れること。
キャステイングだけでも、この大河観る価値あります! ()
 
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ドサ回りから帰った孝蔵は、借金取りから逃げるたびに高座名を変えていた。大正101921)年には師匠の馬生と上野の寄席「鈴本」の席亭から真打昇進を打診された。が、孝蔵はお披露目興行に着る羽織を持たないので断る。すると師匠が「早く渡すと質屋に入れられるから、大事なときに渡してください」と半年前に万朝から預かっていたと、羽織を渡す。
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「ありがてえ、これで馬きんになれる!」とその着物一式を質に入れて酒を飲んみ、孝蔵は寝間着姿で高座ンに上がった。これだけで笑える、さすが落語家です!
 
真打・馬きんとなったがうだつにあがらない孝蔵に小梅(橋本愛)と清さん(峯田和伸)が縁談ばなしを持ってきた。縁談の相手はおりん(夏帆)と言い、高田馬場の下宿屋の娘だという。小梅は「うまくいくと思うと失敗する。蚤の心臓だ、所帯を持って気が大きくなれ!」と勧めた。
孝蔵は「所帯じみてしまう」と反対したが、おりんの父親・清水亀次郎が高座を見にきて「よさそうな男だ」と結婚を認めているという。これで孝蔵は決めた。
 
孝蔵は“おりん”と祝言を挙げた。新郎新婦、清さんと小梅、“おりん”の両親が集まり、膳にはスルメと“鯛焼き()が並ぶというささやかな祝いの席だった。
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祝言が済むと孝蔵は「“ちょうまい”だ、金くれ」と祝言袋を持って、遊郭に出かけた。おりんが近所のおかみさんたちに「ちょうまいに行ってる」と話すと、みんなが笑う。何で・・。() 
 
四三が敗戦国ドイツで、戦災に負けずたくましくスポーツをする女性を見て刺激され、帰国して竹早高女の教員となりスポーツを勧め、その熱意が竹中の御嬢さんたちを徐々にスポーツに目覚めさせた。
富江と梶原が播磨屋でミシンを借りてユニフォームを作った。手作りのユニフォームのふたりは、テニス会・運動会のアイドルとして招かれるとうになっていった。金栗を彼女らから「パパ、パパ」と呼ばれ慕われるようになった。() 作ったユニフォームは評判となり日本橋の百貨店で「村田梶原式ユニフォーム」として商品化された。
 
野口(永山絢斗)が「アスレチック」という本を出し、女性たちはそには見向きもせず、陸上選手の脚は締まって細いと、四三のところにきて、彼のあしに触って確認する。スヤがこの様にあきれる。()
そして、四三による陸上の指導が始まった。彼女たちがシマに一緒に走ることを勧めるが、シマは断った。
 
シマがスヤに懐妊したことを告げ「なんだか間が悪い。金栗千寧が学校にやってきてこんな大きな動きが出てきたときに、私は何もしていない、教員としても・・」と漏らすと、「それはそれ、女子体育と結婚したの? 増野さんとしたんでしょう。産みなさい!」とアドバイス
そこに練習から戻った四三がこの話を耳にして、シマを抱き「でかした!でかした!」と喜んでやる。
 
シマがトクヨ(寺島しのぶ)に妊娠を報告に行くと、トクヨは「ご幸福ですか!私は決めた男には妻と子がいました。私は女子体育と心中することにしました。私はやらなければいけない」「学校を創るのですか」とシマ。「誰にその話!」()。大正111923)年4月に全寮制の二階堂体操塾を設立した。現在の日本女子体育大学
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富江と梶原(北香那)たちテヌス部が、岡山高等女学校に招待された。白いユニフォームの富江たち。一方、岡山の選手たちは黒の袴だった。岡山高等女学校には日本人離れした長身の人見絹江(菅原小春)という選手がおり、岡崎という選手とペアを組み富江たちと対戦した。絹江は身体能力も桁違いで、富江たちは破れ、四三は「敗戦から学べ」と励ました。
試合後シマが絹江に強さの秘訣を聞くと「勝ちたいと思うたことがない。勝てばおてんばだといわれるから、わざとまけてやろうと思うが、これもしゃくだからと手を抜かず戦うと勝ってしまう」という。シマが「陸上の選手にしたら」というので、四三が人見に足を見せてくれと触ると、蹴とばされて、「文学部に進む」と言って出て行った。()
人見絹江、身長170cm、後に日本初のオリンピック選手となる。
 
この年、スヤは熊本で長女・正子を、生涯一男五女をもうけた。シマも長女・リクを産んだ。シマがリクを連れて下宿に訪ねてきたので、四三が「女子の陸上競技大会を計画しているので参加してはどうか」と勧めた。シマは「私よりも人見絹江さんがいい」と言って、参加を促す便りをした。
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その年の秋、女子陸上大会が第二高女で開催された。人見絹江は不参加だった。多くの観客が集まったなかで、富江が、新しいスパイクがきついと黒い靴下を脱ぎ、素足にスパイクを履いてレースに臨み、50m、100m、50m障害の3種目で優勝した。裸足で走ったことでマスコミが騒ぎ、文部省から「女子の運動に腿を出さぬこと」という厳重注意が出た。()
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このことで、富江の父・村田大作がほかの親たちとともに第二高女の校長室に乗り込んできた。彼らは「村田の姿が浅草の露店でプロマイドになり売られている。四三を退校にしろ」と抗議。
これに四三は必至に抵抗した。「女子が足ば出してなんが悪かね。富江日本記録を出している。女子が悪くて、男子が良い理由が分からん。シャンになるために出して何が悪い。女が悪いのではなく、見る男が悪い。男が目隠ししたらよい。() 恥ずかしいことではない。私の娘には大いに出せという。脱いだ方がスピードが出る。スピードが出るのに何で褒めてやらん。あんたたちがそんなことでは女子のスポーツは育たん。いつまでもヨーロッパに勝てんとです!」と。 
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四三は校長室に呼ばれ嘆願書を見せられて退職を促されていた。女生徒たちが教室に集まり「金栗先生を絶対に止めさせない」「走って何がわるい」「とんちき文部省とこれに同調する先生もバカ!」とバリケードで抵抗を始めた。駆けつけた先生たちもなすすべがない。その時四三が「わかった!開けろ!」と。
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記事 20190610
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