シリア内戦で生まれた娘のためにカメラを持ち、生きた証を映像に残した母親のドキュメントです。2019年カンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を獲得、本年度アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にもノミネイトされた作品です。
芝居で作った映像では感じられない戦場での生々しい映像が飛び込んできて、まるで戦場に立たされた感じ。惨いシリア内戦の実態を知ることになりました。
監督はワアド・アルカティーブ、現在夫ハムザと娘サマと一緒にロンドンに住んでいます。もうひとりの監督エドワード・ワッツはエミー賞受賞、英国アカデミー賞ノミネート経験をもつ監督です。
物語は大統領アサドによるシリア最大の人口を有する都市アレッポの惨劇。2011年の平和デモから2016年ロシアが介入してこの地を追われるまでの物語ですが、主体は2016年の一年間、ロシア軍に支えられた政府軍に「ここに存在することこそがアサドへの最大の抵抗」と頑張った記録です。
これに時間軸を前後しながら学生時代のデモ参加から結婚、娘の誕生、日々の暮らし、アレッポからの脱出と家族の物語が加わり、“娘へのメッセージ”「故郷と人々の記憶」と先の希望に繋がる物語。母・妻としての女性目線で描かれ、戦争下で生きること愛することの意味が伝わる作品になっています。
あらすじ;
ジャーナリストに憧れる学生ワアドは、デモ運動への参加をきっかけにスマホで映像を撮り始める。やがて医師を目指す若者ハムザと出会い、夫婦となった2人の間に、新しい命が誕生する。
多くの命が失われる中で生まれた娘に、平和への願いをこめて「空」を意味するサマと名づけたワアド。その願いとは裏腹に内戦は激化し、都市は破壊され、ハムザの病院は街で最後の医療機関となる。
明日をも知れぬ身で母となったワアドは、家族や愛する人のために生きた証を映像として残そうと決意する。(映画・COMより)
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冒頭で18歳の私ワアドとポートレイトと両親の言葉「頑固で無鉄砲!」が紹介され、その言葉が分かっていなかったが子供ができて分かった!「サマ!」と病院の一室で、ロシア軍の戦闘爆撃機に攻撃され暗闇になったなかで、カメラを取り出して娘サマを探して走り回り、やっと見つけてほっとする映像。これは2016年11月のできごと。ここで彼女は「サマを産んでよかったのか!」と悔やむ。しかし、サマに励まされ、市民のためにとアレッポの惨状を撮り続けることが出来たという作品のテーマが示されます。
〇物語は一転、2016年7月のシリア軍がアレッポの街を包囲して攻撃してくるなかで、負傷した血だらけの痛々しい子供たちが次から次へと病院に運び込まれるシーンに続く。この時のアレッポの街の全景が映し出され、まだ街の形態を成しているが、半年後全くの廃墟になるという市街映像を見せてくれます。
2011年、ワアドはアレッポ大学の学生で、アラブの春に触発され民主化を求める学生デモを携帯カメラで撮っていたが、政府側の攻撃で学生たちは追い詰められる。ここで後に夫となる医師ハザムに出会った。
彼女の映像はとんでもない映像へと移っていく。2013年1月の東アポットの川から大量の反対派住民たちの遺体の発見映像!川から引き揚げられ土葬される遺体。ハムザが現場で検視し「残酷な屠殺だ、遺体が拷問で頭をぶち抜かれている」と絶句した。いかなる理由があれアサドはこの罪から逃れられないでしょう。
政府の反抗勢力への攻撃が激化し、ハムザは仲間や看護師たちと廃墟となった病院に医療施設を開設し市民の治療にあたった。ワアドはハムザの活動を手伝うことにした。大出血で亡くなっていく少年を見てワアドが涙すると「泣くならあっちへ行け!一緒に居て欲しい」とプロポーズした。
2014年12月、ワアドとハムザは結婚。小さな結婚式だったが「苦しい道を一緒に進もう」と誓った。そして新居を購入した。2016年1月サマが誕生。
〇2016年9月、包囲3か月目。
空爆で自宅を失いハムザの勤める病院で暮らすことになった。突然空爆が始まった。「樽爆弾!」というアナウンス。写真を撮ろうと走るワアド。そこで見たのは負傷した弟に付き添うふたりの兄。弟に脈はなく泣きじゃくる兄。呆然と立って涙ぐむもう一人の兄。とても悲しい映像でした。
そこに「私のマホメッド!」と入ってきて亡くなった子を抱く母親。母親は息子の亡骸を抱き街頭を彷徨う。これを追うカメラのアワドはこの母親に自分を重ね「ハムザには言えない!」と泣いた。
たった1年前のことを思い出す。新居に花を植えて楽しんだこと。妊娠した日々。そしてイスラム教徒が入ってきて政府軍との戦闘が激しくなっていったこと。ここでお産をすることの不安。しかしサマが生まれたときの喜び、「神は新しい希望をくれた」とふたりで泣いて喜んだこと。
〇2016年10月、包囲4か月目。
夫ハムザがサマをあやす映像。すぐそばには少年の遺体。この遺体に母親は「私より先に逝って!」と嫉妬する。
「アサドが死ねば戦争は終わる」とここに留まって抵抗する老人たち。空撃跡の水たまりで水遊びする子供たち。破壊された建物やトラック・バスなどにペンキを塗って楽しむ子供たち。「どんな爆弾だったの?」と聞くと「クラスターだよ」と応える子供たち。日本の子供たちは絶対に答えられないでしょう。
妊娠9か月の女性がクラスター爆弾にやられ、全身に破片が刺さった状態で連れ込まれ帝王切開で出産した。「脈がない!」と医師たちが必死に心臓マッサージを続ける。まるで「生きてくれ」と言わんばかりにカメラはこれを撮り続ける。
鳴き声が聞こえたときは、生きるということの尊厳さを知らされます。母親も無事だったがこの親子は生き延びることができただろうか!
生まれた娘にサマと名付けたときの回想。サマというのは“空“という意味。太陽や雲、鳥の飛ぶ空、戦闘機が飛ぶ空でない”空“であって欲しいと付けた名前。
2016年4月27日にはこの病院を目標にしてロシアの戦闘機が攻撃を仕掛けてきた。多くの病院スタッフが亡くなった。そのなかにサマの脈をとってくれた医師がいた。
2016年7月にハムザの両親に会いにトルコに行ったが、「そのまま留まっては逃げたことになり娘に恥だ!」と、国境が封鎖されていたが地図に載っていない間隙からアレッポに戻ってきた。このときサマの穏やかな顔が力を貸してくれた。
〇2016年11月 包囲5か月目。
街のビルの多くは破壊され仮小屋が軒をつらねる状態。そんななかでロシア戦闘機の目をくらますためにタイヤを焚き空を煙で覆ってデモが行われた。そして食糧難で市民を苦しめ始めた。
食べるものがない。そんななかでワアドは妊娠した。ロシア戦闘機が病院を襲ってきた。
子供や老人がここに運び込まれる。毎日300人がやってきた。床一面が血で塗られる。そこに負傷者が運び込まれ、壮絶な治療現場となった。
アワドがこれを撮影すると「何故こんなときに!全部撮って!」と女性から激しい口調で攻められた。アワドはこれが自分の役割と撮り続けた!
病院が攻撃され白煙の中で「もうだめだ!」とサマを産んだことを後悔した。
「降伏すれば許す」という連絡が入り、ハムザは仲間と協議し撤退することに決めた。
市民たちは次々と街を去って行った。ハムザはここに留まり彼らの最期を見届けて脱出することにした。
アレッポの町は死んでいた。
アワドたちは車で、ハムザの顔は割れていると心配したが、サマの笑顔に賭けてトルコ国境へ。無事通過して脱出した。
シリア避難民がここでどう生きたか、故郷へ帰りたいという彼らの想いが伝わる作品で、一日でも早く平和が訪れることを祈念してやまない!
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