「今年一番の作品!」とまで絶賛される作品、観て参りました。評判どおりの作品だと思います。一度だけでは味わいきれない味のある作品で、そのうち又劇場に。(#^.^#)
本作は戦時中の広島県呉市に18歳で嫁いだ女性が戦禍の激しくなる中で懸命に生きる姿を描いた物語です。
戦時下という厳しい環境下にある市井の日常生活が、リアルでユーモアに描かれ笑いが絶えない。
主人公がとても純朴な子であるだけに戦況が悪化していくなかで懸命に生きようとする姿に心打たれ「救いはないのか」と涙がとまらず、今を生きる者に戦争の虚しさが伝わります。
難しい理屈でなく「戦争という愚かさ」がこれほどにすっと心に入ってくる作品を知りません。また、戦争という非日常が日常化していく恐ろしさを感じ現実を見直すことに繋がります。
この作品では特に当時の生活を再現することに力が注がれ、街や建物の再現は無論のこと料理の作り方、風呂敷の使い方などに至るまで拘りがあり観る者を引き付け、当時の人々の思いが伝わります。
そして、画像がとても精細リアルで、空爆や時限爆弾の破裂などで受ける心理状況がアニメならではの独特な表現法で描かれとても心に響くものになっています。原爆で全身に受傷した母親の身体にたかるハエを追う少女の姿、こんなにやさしく哀しみを
訴える戦場写真をしらない。フィン・コン・ウトの撮ったピューリッツァー賞写真よりすごいです。
主人公は天然系の女性で、能年玲奈さんの声が雰囲気にぴったりです。右手を失って悲しみ、怒りながら逞しくなっていく声の演技は見事です。主人公が能年さんに見えてきます。
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物語は、
物語の焦点は米の空襲が始まり終戦までの昭和19年から20年ですが、物語は昭和8年から始まり18年の間は速足で描かれます。ここでは主人公浦野すずのキャラクターとこの時代の広島の街並みや江波の海岸が平和で美しく描かれ、後に原爆の投下後と比較できるように作られています。
昭和8年12月、海苔梳きの家に育ったすず(能年玲奈さん)は舟に乗っで海苔を二葉に届け、帰りに妹すみへのお土産を買って道がわからなくなり、ここで「悲しくてやりきれない」(フォーククルセダーズ)の歌が流れ幕が開きます。
おもしろい叔父さん(実は人攫い)の籠に乗せてもらい広島の街を見物しながら帰ることになりますが、なんとこの籠にもうひとり男の子がいてこれが後に夫となる子で、「うちはぼ~としていたからあの日のことはわからん」というなんともおっとりした物をよく忘れるおもしろい子です。ここで主人公のキャラ、人攫いという風俗、籠から観る広島の街とこの物語の面白さを予見させます。
さらに「悲しくてやりきれない」ですずのこのときの悲しみの感情いや物語の結末をも暗示させる演出が奇抜です。
・10年8月には干潟の海を渡りお婆ちゃんの家に遊びに行き、スイカを食べ昼寝していて座敷わらじに会ったが誰か思い出せない・・。(笑)
・13年2月、幼馴染みの水原哲君がやってきて両親が海で亡くなり海は嫌いだと言い、学校で海の絵が課題なのに海を眺めているだけなので、代わりに海の絵をかいてあげる。すずは絵を画くことが大好きな子で、彼がすずの初恋の人です。そして年月が経って・・
すずの嫁入り
・昭和19年2月、戦争で海苔の仕事ものんびりとなって、お婆ちゃんが「遠くにお嫁にいくんだろう」と着物を準備してくれ初夜の心得「傘を持ってきたかと聞かれたら持ってきた。さしてもいいかと聞かれたらええというんやで」(笑)と教えられ、すずは相手の人の顔を見ることなく結婚します。
嫁入り先の呉にやってくるとパンパンと海軍さんの大砲発射訓練音が聞こえ長い急な坂を登って北条の家に着きます。早速結婚式、お婿さんは周作さん、大人しそうな人でほっとしますが、誰が一緒についてきてくれたかが思い出せない。(笑)
ここで義姉の経子さんに会います。夜になると軍艦の照明訓練で明るくなる部屋で旦那さんが「傘は持ってきたか」と聞くんです。「持ってきた」というとちょっと貸してくれと言い、干し柿を食べてる。「うちら、どこかであいましたか」と聞くと「ここに黒子があった」と言いキスをする。(笑)
朝早く起きて炊事、夫が海軍の法務の仕事をしていて出かけ、私は配給の受け取り焼夷弾が落ちた時の対処法を教わる。
・19年3月、経子さんが子の晴美を連れ北条家にやってきて「広島育ちで気が利くと思ったが何もできん」と貶される。でも経子さんは「裁ちができない」と義母さんに叱られてる。私のモンペに汚いとケチをつけるので、嫁入り時にお婆ちゃんに貰った着物をモンペに作りかえる。ここでは、作り方を検証していて、丁寧に作り方を説明しています。
経子さんが配給を受け取にでるようになり「すずさんはもう広島に帰ったら」というので広島に帰ると妹のすみは「挺身隊には美男の子がいて楽しいよ」と言い「お姉ちゃんハゲが出来てるよ」と面白がる。広島の町の絵にして、帰る家は呉と広島にさよならする。
○食糧難がやってくる
・19年4月、帰るとまだ経子さんがいて晴美が寂しがっているというので一緒に山に出かけると帰宅中の夫に会って呉軍港を望み「あれが戦艦武蔵、潜水母艦、戦艦大和で東洋一の軍艦で2700人乗れる」と教えてくれる。「そんな沢山のご飯どうやって作るの」と聞くと「気にしたら禿が大きくなる。皆が噂してるで!」と言われる。(笑)
配給に並ぶがなかなか順番がこない。なんとかなると野草を摘む。タンポポ、おみなえし等食べられるものはなんでも料理してとにかく工夫して食べる。米を膨
らして食べる“楠公飯”に挑戦する、ここでは具体的に作り方が説明されている。「これを喜んで食べた楠公さんは偉い」とお義父さんが言う。(笑)
夜間、米国の空襲が始まる。停電。焼け出された人たちの疎開が始まる。
○米軍の空襲に苦しめられる
・19年7月、空襲で沢山の人が疎開する。そして防空壕作りが始まる。山から見ると大和と武蔵、空母がいない。防空壕で夫にチュウしていて見つかる。(笑)
身体の悪い人にまで徴兵が始まる。山菜採りに山に登り軍港の軍艦を描いていると憲兵がやってきて捕まってしまう。スパイ行為だと厳しく叱られる。夫は「すずが憲兵に」と驚くが、「描けるうちに自分を描け」と言う。「すずが憲兵に? 戦争でも蝶々もトンボも飛ぶ」と皆で大笑いをする。
お使いで呉の町に出て道を間違え遊郭に迷い込む。(笑) 絵を描いていてリンさんに出会い道を教えてもらう。リンさんはスイカの赤いところを食べたことがないから描いてほしいと言われ、もうここには来るなと注意される。
夫から電話があって呉鎮守府に帳面を持ってくるように言われ、持っていくと「久しぶりだ」と言いふたりで町をぶらつく。水兵さんが一杯で、ここで水兵になった水原哲君に出会う。
・19年12月、軍艦の夜間訓練が行われ、水原哲君が風呂を使いにやってくる。すずは風呂を立てご飯を食べさせる。「重巡洋艦青葉はどうなの?」と聞くと「何もせずに帰った。死に遅れる」と焦っている。
夫は「もう会えんかもしれん」とふたりで会うことを認めてくれ哲君に会ったが「うちはこの日が来るのを待っていたように思うが、今はあの人がいるのでごめん」ときっぱり言う。「私はいつ人間の当たり前から離れたか。私を思い出すときは普通でいてくれ」と哲。
・20年2月、お兄ちゃんが石になって帰ってくる。冬は雪が多くて春が待ち遠しい。
・20年3月、士気高騰のため進軍ラッパが鳴り軍歌が歌われる。すずの口からも軍歌がでる。
米機による一斉爆撃が始まる。海軍鎮守府のある呉が標的にされる。これを迎え撃つ高射砲。爆弾が赤や青の絵具で書いたように破裂する。「わたしは何を考えているんじゃ」とすず。爆弾が爆弾と感じられなくなっている。この日、呉の港では沢山の魚が爆弾の水中破裂で獲れたと言う。連日の空襲警報、消火でバカ嫁もしっかりしたと言われる。(笑) 沢山の出生兵士が出て行く。
・20年4月15日、空襲、もう眠くて、眠くて、初めて米軍機を見る。
・20年5月5日、大型機125機が来襲。お義父さんが軍服を着ることになる。夫が帰ってきて「すずはこまいのう。こんなに小そうては家は守れん。すずには無理」と言い出す。すずは「この家で待っている。顔を忘れないで」と夫に縋りつき、夫の姿を描く。夫も軍服で出て行く(いつ帰ってこれるか?)。
お義父さんが負傷し入院することになり、見舞いの途中で婦人たちの訓練に出会い「心配ない竹やりがあるから」と言うのを聞いて「バカか」と思う。
○時限発弾で、すず右肘を失い晴美が亡くなる
晴美が下関に疎開することになる。大和は沈没し海軍は陸軍に吸収されると聞く。ここにいたら何でもわかる。晴美を連れて列車のキップを買いに出て空襲に会う。防空壕にいれてもらって空襲を見過ごし、壕を出て歩いていて時限爆弾に遭遇。危険だからと思っていたら不意に爆発、何が起こったかわからなかったが、晴美は即死、すずは右手首を失う。このシーン、すずの記憶喪失の描写がユニーク。
すずは晴美を死なせたことで悔やんでも悔やみきれないと泣く。経子さんは激しくすずを責める。しかし義母は「経子は動転している。本気では言うてない」とすずを庇う。
家で療養中に焼夷弾が降ってくる。すずはもう空襲に慣れてしまい起き上がり片手でバケツを使って水をかけ、フトンを被せて火を消す。呉は火の海になる。夫が帰ってきてすずを抱き上げる。「消し止められてよかった。傷が治ってよかった。どこがよかったのか私にはわからん」とすずは右手の記憶を思い出して泣く。すみが見舞いにきて「家のことが出来んと暮らせんやろ広島にかえったら」と勧める。すずが口をつかって洗濯をしていると経子さんが手伝ってくれる。
○広島に原爆が投下される
・20年7月28日、空襲、カモメがこの山まで飛んでくる。突然、機銃掃射。夫に助けられる。私は広島に帰ることを考え始める。義母の背中を揉むと「寂しいね」と。経子さんが着替えを手伝ってくれ、晴美のことで責めたことを詫び「私はいいなりに働かされつまらん人生やった、あんたはここでも広島でも自分で選びなさいよ」と言う。これを聞いてすずは「決めた、ここにおらせてください」と叫んだとき、広島に大きな爆弾が落とされ呉まで爆風が伝わり外に出て大きな雲を見る。
広島にもっていくためにみんなで藁ぞうりを作る。広島につれていって欲しいと懇願したが断られ木に登って広島をみようとするとそこに障子が引っかかっていて「広島から来たんかね」「こんな暴力に屈しない」とすず。
・20年8月15日、玉音放送。みんなは「負けたということよ」と言うがすずは「まだ生き残っている」と残念がり、片手で水を持って畑に行き「なぜ暴力に屈せねばならないのか」と手首を失った右腕で地面をたたいて泣く。呉の港では爆弾が落ちないので魚が獲れないという。戦争が終わっても夜になると灯を消すので「灯を着けなさい、ご飯が見えない」と声が出る。夫は法務の仕事で広島に「必ず帰ってくる」と言って出かける。
○この世界の片隅で、わたしが見つけた家
・20年11月、醤油と塩がなくなる。配給所に並び、あるものは何でもよかった。残飯雑炊、紙くずが美味かった。アメリカさんに道を教えたら飴をくれた。
・21年1月、すみを訪ねる。父も母も見つからなかったと話しながら被ばくした傷を見せる。焼け爛れた産業奨励館を見にくると、ここで夫に会う。夫は「すずはすぐわかる。ここに黒子があるから」と言う。「離れんで、ずっと側に居てください」とすず。ふたりは、焼け野原を見ながら、原爆の破壊力の凄さを想う。ここで提示される映像:原爆で受傷した母親の身体にたかるハエを追う少女の姿。こんなにやさしく悲しみを訴える戦場写真をしらない。フィン・コン・ウトの撮ったピューリッツァー賞写真よりすごい。
ふたりのそばに孤児となった子供が寄ってくる。すずは「呉は私が選んだ場所、(この世界の片隅で)わたしが見つけた家」とこの子供を連れて帰る。呉は九つの山に囲まれて(九嶺:きゅうれい)くれという。呉に帰り、子供の身体から大量のシラミを取り、みんなでこの子を可愛がる。戦後のすずたちに「希望」が舞い込んだようです・・。
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記事1 20170110
記事2 20170304
20190804
のん、『この世界の片隅に』が地上波放送。独立後も愛されるワケ
8/3(土) 15:46配信
ミニシアターの上映からスタートして異例の大ヒットを記録したアニメ映画『この世界の片隅に』が、8月3日21時よりNHK総合で放送。話題の名作が、ついに地上波で初登場します。
ヒロイン・すずの声を演じたのは、女優・のんさん(26)。2010年、映画『告白』で脇役としてデビューした彼女は、国民的人気女優へと上り詰めたのち、独立や改名など紆余曲折の道のりを歩むことになりました。
『あまちゃん』で大ブレイクし、国民的女優に
のんさんが大ブレイクを果したのは、なんと言っても2013年放送のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』でしょう。当時はまだ、能年玲奈という本名および旧芸名で活動していました。
ヒロイン・天野アキ役の奔放でみずみずしい演技が視聴者の心を捉え、このドラマで国民的女優へと飛躍。放送終了後は、バラエティ番組へのオファーが相次ぎました。出演したトーク番組では、自分自身を「生ゴミみたい」と発言したり、質問に対して10秒以上沈黙したりと、きわどい“天然キャラ”が話題に。女優としてだけでなく、その人間性でも注目を浴びました。
2014年、主演を務めた映画『ホットロード』では、心に傷を抱え、非行に走る少女役を好演。この演技が高く評価されて、「第38回日本アカデミー賞」で新人俳優賞、「日刊スポーツ映画大賞」で新人賞など複数の賞を受賞しました。このまま順風満帆なキャリアを歩んでいくはず……と、このときは誰もが疑うはずもありませんでした。
独立騒動で休業状態…「のん」に改名
ところが2015年5月、事務所独立騒動が勃発。女優としてのキャリアが暗転することになります。騒動の原因は、当時所属していた「レプロエンタテインメント」に無断で個人事務所「三毛&カリントウ」を設立した、というものでした。
この不可解な行動に、各メディアが当時の演技指導者から“洗脳されている”との報道もあり、イメージは下降するばかり。事務所との折り合いもつかず、以降は事実上の休業状態に陥ります。
2016年7月には、能年玲奈という芸名を「のん」に改名。マネジメント会社「スピーディ」で再スタートを切りますが、テレビドラマや映画のオファーはやって来ません。それでも、ファンのために元気な姿をインスタグラムに投稿したり、LINE LIVEで活動予定を報告したりと、着実な一歩を積み重ねていきました。
『この世界の片隅に』大ヒットが転機に
そんなのんさんに再び転機が訪れます。2016年11月公開のアニメ映画『この世界の片隅に』の声優に抜粋されたのです。アニメ監督・片渕須直さん(58)からの熱烈なオファーでした。
戦時中の厳しい状況下で、穏やかでありながらたくましく生きるヒロイン・すずは、のんさんの声だけでなく人生ともシンクロ。封切り前の試写会から評判は高く、封切り後はSNSによる口コミで噂が爆発的に広がっていきました。
松尾スズキさんなど著名人が絶賛した影響もあり、単館系映画としては異例のロングラン。のんさんは、声優として「第38回ヨコハマ映画祭」で審査員特別賞を受賞するなど、数々の賞を受賞。にもかかわらず、この映画以降も実写ドラマは、LINEドラマ『ミライさん』の起用のみ。今も尚、地上波ドラマや映画での復帰は果たしていません。
のん「ベビーフェイス」(CD+ブックレット)
なぜファンに愛され続けるのか?
現在、のんさんはラジオやCMの出演こそありますが、芸能界の暗黙の制約のなかで活動していると言わざるを得ません。そんななか、なぜファンは離れていかないのでしょうか?
「のんさんは、『あまちゃん』の舞台である岩手県久慈市のイベントにたびたび参加したり、『この世界の片隅に』の舞台・広島が豪雨被害に遭えば訪問して義援金を送ったりと、本当に律儀なんです。お世話になった人や場所に恩義を忘れない彼女の行動を見るなかで、ファンはさらに復帰を後押ししたくなるのでしょう」(テレビ誌記者)
地道な活動を続けるなかで、来年2020年には、念願だった実写映画『星屑の街』の公開が控えています。これまでの努力が実を結び、再び女優として飛躍することを祈るばかりです。<TEXT/鈴木旭>