映画って人生!

宮﨑あおいさんを応援します

「光」(2017)

イメージ 1
本年度カンヌ国際映画祭エキュメニカル審査員賞を受賞作品。高い評価を得ている「あん」の河瀬直美監督作品です。
視力を失いゆくカメラマンが視覚障害者の映画観賞用音声ガイドを制作する女性に惹かれ合っていくさまを描いたラブストーリー。
「消えゆくものの先に光をみる」というメッセージとともに音声ガイドという仕事、ガイドする劇中劇を通じて、生と死や人生、映画論に触れるという世界観のある作品です。

主演には永瀬正敏さん、ヒロインに水碕綾女さん、脇に神野美鈴さん、小市慢太郎さん、藤竜也さん、そして意外な役で樹木希林さんが出演です。

ふたりは映画の音声ガイドモニター会で、カメラマンが映画「その砂の行方」(劇中劇)の音声ガイドを批判したことで出会います。
カメラマンはかって著名な写真家でいまは妻を失い視力を失いつつあるがカメラへの執着を捨てられない、さきの人生に大きな不安の抱えている。一方ガイド女性は認知症の母にどう向かい会うべきか、またガイド者としての視覚障碍者に向かい会えているかと悩みを抱えています。
ふたりは、劇中劇の感想意見交換を通して、劇中劇で描かれる老夫婦の葛藤に絡ませ、それぞれ葛藤を解きほぐすなかで心通わせることになります。
ラストシーン、劇中劇の老いた夫が光を見出したことに、カメラマンが自らの人生を重ねるシーンは感動的です。
劇中劇の老夫婦の葛藤やガイド女性の母への想いをどう紡いでいくかむずかしい。作品で語られる「何かを削れ!」・・()

ガイドの作成は「映像を言葉にする」ことで、一番伝えたい大事なことをどう伝えるかという大きな命題を提起します。「何を見せ、何を見せるべきでないか」という映画論に繋がります。このあたりは河津監督の考えが出ているのでしょう。
「スクリーンではもっと大きな世界に入り込めるものにすること。音響を聞いて、観て、広い世界大きな世界を!」と、監督の叫びが聞こえるようです。カンヌ国際映画祭パルムドール賞を逃がして残念がっておられるでしょうね。あまり賞のことは考えないで作品作りに励んでほしいです。(#^.^#)

カメラマンが視力を失う喪失感と光をみつけるプロセスがしっかり描かれています。永瀬正敏さんの見えなくなるという不安に苦悩する演技はすばらしかったです。自然な演技で、本当に見えなかったのではないかと思っています。
イメージ 2
ガイド役の水崎綾女さん、目の輝きで抜擢されたのでしょうか、目が美しかったです。
イメージ 3
当初ぎこちない演技でしたが、物語が進むに伴いガイド作成者として成長していく姿がよかったです。特に、彼に顔を触れられることで彼の心を知り涙を流すシーンはよく感情がでていてとても美しいものでした。

タイトルどおり、大切なシーンには必ず光が降り注いでいます。この映画の光は夕陽が基調で暖かい。特にカメラマンの部屋いっぱいに降り注ぐ夕日の光、その光を受けたプリズムの七色の光。ふたりで見る夕陽など。また、森林、光で輝く樹木の葉、海の映像に命や生命の輪廻を感じます。
****
物語は、
映画「その砂の行方」のガイド作成のための試写会に参加する中森雅哉(永瀬正敏さん)が席に着きイヤホーンを着けるところから始まります。
映画はガイドの尾崎美佐子(水崎綾女さん)のナレーションで始まります。
イメージ 4
彼女のナレーションは「時計を見る」「案内をする」「バスを待つ」などを聞いていて、まだこの仕事に十分には馴染めていないようです。
映画のラストシーン、ここでは細部よくわかりません。おだやかな海辺にやってきて夫重三(藤竜也さん)が妻時江(神野美鈴さん)に「どうですか時江さん、おだやかですか」と手を止めて愛おしむ。そして時江の顔を見る。震える時江、重三が時江の頬を指で突く。ここで、認知症の時江を労わる夫の回想シーンが映し出されます。

モニター検討会が始まります。「しゃぞう」というのは何ですかという質問に砂の像だと丁寧に美佐子が説明しますが、イメージが止まると批判が出る。「首にキスして『想いが尽きないんだ。目の前から大切なものが消えると美しい』のシーンに「その表情は“生きる希望”に満ち溢れている」というナレーションがなされたことに、中森が「受け入れられない。押しつけがましい言葉が入っている。先の希望など君の主観だろう。いまのままなら邪魔だ」と不躾に発言します。

「ここは検討します」と美佐子の上司智子(神野美鈴さん)さんが引き取る。
イメージ 5
美佐子に「中森さんの言葉は聞いた方がいい。私は誰かの人生を生きて救われている。音声ガイドはそうやって伝わる。視覚のない人の想像性は相当なものよ!」と中森の発言を検討するよう促し、「声でガイドすることは、映画で女優さんが演技するように、言葉で演技すること」と言います。

「映像を言葉にする」とは一番伝えたい大事なことをどう伝えるかだという大きな命題を提起します。「何を見せ、何を見せるべきでないか」という映画論に繋がります。このあたりは河津監督の考えが出ているのでしょうか。

美佐子はラストシーンを智子さんの示唆で「時江さんを道連れに自殺することを考えているのかな」とガイドの検討を始めます。視力のある美佐子には思いつかない視覚のなくなっていく中森の思いを探し始めます。

美佐子の母は認知症で、自宅で介護師さんに看てもらっている。突然介護師さんからの知らせで母を見舞います。「擁護施設にいれるべきか」と考えながら母の記憶を辿ります。居なくなった父の記憶が忘れがたいようで父の財布は昔のままの状態、免許証、小銭1200円、ポイントカードそして一枚の写真。母は父をどう思っているのか。消えゆく記憶の母が劇中の時江に重なり、中森の発言に消えゆく視力であるがため見えるものがあるのではないかと思うのでした。

雅哉は外紙にも紹介された著名カメラマンです。写真誌も発行しており、夕日の作品が有名です。
目の障碍の程度は、網膜の大半は薄い夕焼けの黄色、僅かな隙間から光を感知できます。弱視から目が見えなくなっていく過程が一番苦しいようです。文章は目にくっつけて見るが読めず特殊な拡大装置を使う。パソコンは無理、昼と夜はわからないという状況。
こんな状況でもカメラを離せない。ローライフレックス型カメラを持ち出し微かに入って来る光を頼りに公園で遊ぶ子供たちを撮っている。

この状況を目にした美佐子が文字拡大装置をもって雅哉のアパートを訪れ、彼の生活を観察する。
イメージ 6
部屋にはかって撮った写真が飾られ、四方から光が入り、微光やプリズムによる色を感じるようにしている。美佐子がボクシングのようにこぶしを突き出すが雅哉は気付かない。
雅哉の不注意で水の入ったコップを落とし、そこにあった一枚の紙を濡らします。これを拾った美佐子に「結婚していたんだ、結婚したときの書類だ」と説明します。消えていく視力のなかで亡くした妻を偲んでいたのでしょう。雅哉の妻の記憶が「その砂の行方」ラストシーンのコメントに現れているのではないでしょうか。「失ったものへの悲しみ」。ふたりは焼きそば作って食べ、別れます。食事中に入って来る西日がうつくしいです!
美佐子は「信号は青から赤に」と街で見かけるものをガイドしながら帰宅。一方、雅哉は鏡を覗いて、もう見えないと愕然とします。

美佐子が「その砂の行方」の北林監督(藤竜也さん)を訪ねラストシーンについて監督の考えを確認します。
イメージ 7
「重三の内面を現すシーンがありますか?」「たくさんある。爺さんは年寄りだからラストシーンを気にしている。その表現は生きる希望に満ちているんだ」という。「違います」と答えると「重三は死と生が曖昧になっている」と。「そんな曖昧なものでなく希望が欲しい」と申し出ると、「あなたに会えてよかった。重三があんたの希望になったらありがたい」と答えるのでした。

2回目のモニター検討会。
ラストシーン、重三が砂丘をコートを翻しながら時江を求めてひたすら歩き、砂山を登り切る。そこで「想いは尽きない。・・・・」、「夕陽が落ちる」「光が見える。じっと先を見て微動だにしない」のナレーション。(このあたり曖昧です!)このナレーションを怪訝そうに中森が聞いています。
検討会で美佐子が「すっきりした。余白ができて暖かい」とコメントすると、中森が「初めて観る人にはひどすぎる。トップシーンを削っていて想像できない。みなさんはこの作品でどんなことを受け取ってガイドを作っているんですか。想像のしようがない。作品から溢れるものは何ですか」と意見を出します。

美佐子が「監督の内面的なものが出てくればいい」と答えると「重厚感がない、滅びゆく憐れが感じられない。スクリーンではもっと大きな世界に入り込めるものにすること。音響を聞いて、観て、広い世界大きな世界を!言葉が水を差している」。これを聞いた美佐子が涙を流します。このあたり、河瀬監督の映画感や世界感が反映していると思えます。

そして中森から「夕陽のあとに何もないのか?」と質問がでる。「ラストは観る人に委ねます」と美佐子。中森が「僕は感じなかった」というと「想像力の問題です」と美佐子。中森は憤慨して退場します。智子が「この件は私が引き継ぎます。想像力がないのはどちら?」と美佐子に問いかけます。帰り道、美佐子は「いかないで!」と今日の出来事を反省します。自分のガイドにはない中森の見ている世界観に魅かれます。
中森は帰宅し写真集に載ってるふたりで撮った夕陽の写真を指押さえ、「想像力?」と。雅哉は亡くした妻の記憶を思い出しています。

雅哉は昔の写真仲間とひさしぶりに会って飲みながら、彼らの仕事ぶりを耳にします。それぞれが目標を持って活動していることに嫉妬します。彼らが一様に「撮らないのか、狂うでしょう」という。この言葉、雅哉には耐えられないでしょう。
店からの帰り、その一人にカメラを持っていかれる。彼の現像場を訪ね「カメラは俺の心臓だ。動かせなくなっても心臓だ」と取り戻す。完全に失明しても激しくカメラに執着します。
現像場を出たところで、雅哉を付けていた美佐子に会う。一緒に電車での帰り、トンネルで照明が点滅しても変化を感じなくなっている。ここで見せる雅哉の涙に視力を失った男の悲しみが滲みでています。美佐子の手を握り「何も見えない」と。

歩道橋の上で、中森は美佐子に懇願して顔を触らせてもらう。彼は手で彼女の輪郭を捕らえ心に焼き付ける。
イメージ 8
そして最後の一枚を撮る。美佐子は「夕焼けの写真の場所に連れていって欲しい」と申し出ます。

雅哉が白杖をもって、手すりに手を添え、階段で「不安だな!」、そして転ぶ。盲人としての訓練を始めます。
一方、美佐子は映画「その砂の行方」のフィルムを再検討しています。
イメージ 10
「抱き合っていても会いたいんだよ」「想いが尽きないんだよ」「目の前から消えてしまうほど美しいものはない」のシーンを観て「輝く夕陽」に思いつく。「明日夕陽を見に連れて行って」と雅哉にファックスを送る。
雅哉はもはや美佐子以外の留守電を受け付けなくなり、カメラの仕事を放棄しています。

雅哉と美佐子は、美佐子の運転で夕日の見える丘にやって来ます。美佐子は届かないのはわかっていて夕日を追っかけ「何であんなにまばゆいの!」と雅哉に聞きます。「俺もむかし同じことをした。尾崎さんの心がきしむ音が時々聞こえた」と言い、カメラを川に捨てます。「何で!」と美佐子は・・、キスをします。ふたりは熱い抱擁をします。夕陽のかのふたりの姿は美しい見事なシーンです。
イメージ 9
美佐子は事務所で「ラストシーンをもっと考えたい。モニターさんの意見も聞きたい」と智子さんに申し出ます。「大切なものを捨てなければならないのは辛すぎる」と話すと「中森さん!」と智子さん。

美佐子は盲人として街を歩いて、雅哉を支えるトレーニングを始めます。雅哉はこれまで撮った全てのフィルムを焼きます。

美佐子が、母親が行方不明になったという報せで実家に急ぎ、母を探します。美佐子の耳には亡くなった父や幼いころの自分の声が届き、母の追憶の場所へと誘われるのでした。そこに夕陽のなかの母を見つけます。母は「あの陽が消えたらお父さんが帰ってくる」と夕陽に希望を託します。美佐子も夕陽に希望を見出します。そして感覚的に雅哉によって見えないものに対応できるようになっているのでした。

アパートに戻り雅哉からの手紙を受け取ります。そこには一枚のピントが合ってない写真が入っていて「僕の最後の写真です。受け取ってください」と言葉が添えられていました

映画「その砂の行方」完成上映会。
雅哉やってきて席に着き、上映開始。ナレーションは樹木希林さんです。ラストシーン、重三がこれが最後と手をとめ時江を見る。「その手は、何している」。重三、時江の首にスカーフを巻き力を込める。重三に身体をあずける時江。その目から一筋の涙が。・・・重三がスカーフをもって波際に立つ。大きな波、スカーフが波に消える。「目の前のものが消えると美しい」、人形の砂の像が跡形もなく消える。
観客のみなさんが涙を流しています。砂丘をもくもくと進む重三。夕陽が輝く。

この映像に、雅哉の記憶がダブル。「美佐子が雅哉のアパートを訪ねると、不在。外を見ると雅哉がこちらを見て『俺を探さなくても大丈夫。ちゃんとそこに行くから、そこで待っていろ!』と手を振る。『力を得た言葉』と美佐子」

夕陽のシーン、「重三が砂丘の頂上に立ち微動だにしない。」これを聞く中森は満足気です。「重三が見つめるその先、そこに光。」
****